日本城巡り
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富松城

兵庫県尼崎市東富松413

長亨元年(1487) 築城者 薬師寺氏

≪東富松城≫

062

《市指定史跡》

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永正十六年(1519)十二月六日、細川澄元軍に対抗して越水城を守っていた、瓦林政頼を

助けるため、細川高国が池田城を本栄として九十九町『富松』などに陣を置いたとあり、

翌十七年二月三日に政頼が越水城を開城したため、高国方は戦線を尼崎まで後退させ

富松城には細川澄元方の武将が入城した。高国は近江国に亡命したが、澄元の死後、

阿波衆の内乱に乗じて再び摂津進出を図り、享禄三年(1530)八月二十七日に神呪寺城

に陣を敷いた。これに対して阿波衆は細川春元を大将に尼崎城を中心に陣を敷いたが、

この時、富松城には春元方の薬師寺三郎左衛門国盛が立て籠もった。

天文十九年正月十一日、三好長慶が富松城に入城した。富松城の廃城時期は不明で

あるが、のちに越水城の属城となり、織田信長の摂津進攻で三好党が越水城を放棄する

までは、三好方の武将が入っていた。


私見・登城日2003・08・02  作成日2003・09・04  編集日2006・03・05

仕事場で、同僚から富松城の事を聞かされた。富松の交差点に城跡があるとの情報もらい

次の日曜日に出かける。尼崎の南北の幹線道路の交差点に富松城の文字が
。だが、

幹線道路では、駐車出来ないので隣にある、ローソンでジュースを買い30分程停めさせて

下さいとお願いして、登城開始。城内には入れなくバリケードを張ってある
。教育委員会に

電話を入れたが、無理なようなのでカメラ・ビデオで撮り収め、富松城をあとにした。


有刺鉄線があるが人が入った跡

土塁上に有刺鉄線

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