日本城巡り
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庄田城

兵庫県南あわじ市倭文庄田御土居

文和元年『正平七年・1352)船越定春

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淡路守護細川尚春が三好之長に攻め滅ぼされた永正十六年(1519)後には、淡路は三好氏の

勢力下となったが、この頃には倭文の領主藤原氏を滅ぼして船越氏が庄田の地に居館を構え

太者と考えられている。天正九年(1581Iの羽柴秀吉による淡路攻めの時にいち早く秀吉方に

着いた船越景直が直参として活躍している。賤ヶ岳の合戦にも参加した景直は、河内にも知行

を与えられるほどであった。さらには天正十二年には明石にも知行地を与えられ、淡路の本領

失うこととなった。


私見・登城日2006・01.02  作成日2006・01・13  編集日2006・03・05

1月2日、久し振りに一家4人とメリー一匹とで淡路島に行く。名神茨木から入り、近畿自動車道〜

中国自動車道〜山陽道〜明石大橋〜淡路縦貫道を経て、約2時間で志筑に着く。志筑で1人降り

3人と一匹で庄田城に向かう。大体の住所を頼りに城近くに来たので周りを観てみると

畑で2人が仕事をしていたので庄田城を聞くと、私はわからへんでぇ、お父さんやったら分かるかなぁ〜

そこで、男性の方に聞いてみると詳しく教えて頂いた。500年程前の昔に大量なへびが原因で疫病が

流行り沢山の人が亡くなった。その時の庄田城主がへび退治をして疫病が無くなった。その感謝の

気持ちで蛇祭という祭りを今も伝わっていると教えて頂いた。お礼を言い、おばさんにも詳しく教えて

貰いましたとお礼を言ったら、お父ちゃんは、中学校の社会科の教師やからなぁ〜には驚いた。

お礼を言い、再び庄田城を目指して走り抜く。城跡は庄田農協を右に見て、お堂が左にある交差点を

左折して、橋を渡り、川沿いに進むと、右側に見えてくる。今回も沢山な人に道を教えて頂き、無事

庄田城跡・叶堂城に登城できた事を喜んでおります。

 
 今回も、丁寧に道を教えて頂いた淡路島の5人の方、ありがとうございました。


庄田城址碑

≪船越館≫

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