兵庫城
兵庫県神戸市中之島
天正九年(1581)城主・池田恒興
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≪池田城≫
平城
天正八年(1580)に池田勝三郎恒興『勝入斎信輝』が花熊城を落とした功によって兵庫の地を
与えられ、同九年(1581)に花熊城の石材などの一部を用いて天守閣を備えた城を築いた。
同十一年(1583)に恒興は美濃の大垣へ転封となり、羽柴『豊臣』秀吉の直轄地となった。その後、
大坂落城の元和元年(1615)に尼崎藩領となり、兵庫陣屋とよばれ、奉行が置かれていたが、
明和六年(1769)に江戸幕府の直轄地とされ、勤番所が設けられて、大坂谷町代官支藩となった。
明治元年(1868)正月、明治政府はここに兵庫鎮台を置き、同年二月に兵庫裁判所と改称し、
初代知事に、伊藤博文が着任した。
私見・登城日2005・08・15 作成日2005・08・16 編集日2006・03・04
名神自動車道茨木から乗り入れる。西宮で下りて、国道43号線と順調に中之島まで来る。
ナビに示されている所は市場の中で、周辺を探すが分からない。近くの交番所に行くが
バイクが置いてあるにもかかわらず何回となく声をかけたが出でこない。中之島の交番所は
ナビにダメマークを貼り、あきらめきれず元の市場に戻り市場の人に聞くが分からない。
あきらめかけた時、小売店の人が自動販売機に品物を入れに来た。その方に聞いてみると
以前は、この前に何かの石があったが、その石は運河の反対側に移されたが、その石は
何の石か分からないとの事。その跡に1つの石が置いてあるから見てきたら、と、情報を貰う
すかさず、車をUターン。石の前に着け、由来書を見てみると、駅・市場を造る時に周辺の
沢山の石を退けると大量の水が噴出した。その最後の石がこの石ですと書かれていたが
城に関しては何も書かれていなかった。が、内心天守台の石垣かも?と思い、運河を渡り、
直ぐの一方通行に入り、城碑を発見!。ビデをカメラと撮り収め、次の花熊城に向かう。
兵庫城の由来書
城碑
城碑