郡家城
兵庫県淡路市中村土居
弘安二年(1279)城主・田村刑部極仲実
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郡家城のあった場所は、現在の郡家ではなく多賀『旧郡家村多賀』のいざなぎ神宮から南東四百メートル
の地。妙京寺前の道を隔てた東の田地で、≪御土居≫又は、≪田村氏館跡≫と呼ばれている所である。
城主の田村氏は淡路島の一宮の祭主家として来島し、ここに居を構えたのが始まりである。のち、勢力を
振い、家臣を多く扶持するようになったといわれ、土着の名士が豪族化した一例を示している。戦国時代に
活躍し、足利氏に従い、のちに、三好氏に属し、淡路島の諸土豪のうちでももっとも安全で確実な道を
たどったが、天正十年(1572)羽柴『豊臣』秀吉の淡路征伐の時に滅亡した。
郡家川を隔てた北東部の舌状丘陵の先端部が城山であるが、数ヶ所の削平地があり、最上部は東西
十八メートル・南北二十九メートルで、現在雑木が生い茂っている。この地は『殿主台』とも『天守』とも
呼ばれており、物見台か天守閣的な役割を持つ建物が設置されていたのだろう。ここで五輪塔が多数
出土し、妙京寺の田村氏の墓地に納められた。
私見・登城日2005・04・03 作成日2005・04・08 編集日2006・02・26
私見・登城日2005・08・15 作成日2005・09・03 編集日2006・02・26
郡家の公民館の中にある、図書館で城の資料を手にいれ、登城開始。郡家から志筑方面に走り、
一宮中学校の信号を左折し小さな川まで行く。この川の橋を渡って川沿いに歩いて行くと
右側に丘陵の側に行き着く。その丘陵を右に見て進むと、小さなセメントの橋がある。ここが
大手口で左側のお家が山の持ち主です。その坂道を登って行くと10mほど行った左側に五輪塔が
ある。この五輪塔は、私が見つけて山の持ち主さんに報告、山を案内して頂きました。そのまま
登っていって、左折する道があり、左折して70mほど行くと土橋があり、右側に空堀が確認できる。
その奥が天守台で、持ち主の方は幼い頃はここでよく遊んだそうだ。五輪塔は数多く出土したが
強制的に、役場の職員が持ち去ったと怒っていた。私が見つけた五輪塔は、まったく気づかなかった
と言われ喜んでいただいた。
橋の上から城山を見る
土橋から堀切を見る