日本城巡り
本文へジャンプ

郡家城

兵庫県淡路市中村土居

弘安二年(1279)城主・田村刑部極仲実

141


郡家城のあった場所は、現在の郡家ではなく多賀『旧郡家村多賀』のいざなぎ神宮から南東四百メートル

の地。妙京寺前の道を隔てた東の田地で、≪御土居≫又は、≪田村氏館跡≫と呼ばれている所である。

城主の田村氏は淡路島の一宮の祭主家として来島し、ここに居を構えたのが始まりである。のち、勢力を

振い、家臣を多く扶持するようになったといわれ、土着の名士が豪族化した一例を示している。戦国時代に

活躍し、足利氏に従い、のちに、三好氏に属し、淡路島の諸土豪のうちでももっとも安全で確実な道を

たどったが、天正十年(1572)羽柴『豊臣』秀吉の淡路征伐の時に滅亡した。

郡家川を隔てた北東部の舌状丘陵の先端部が城山であるが、数ヶ所の削平地があり、最上部は東西

十八メートル・南北二十九メートルで、現在雑木が生い茂っている。この地は『殿主台』とも『天守』とも

呼ばれており、物見台か天守閣的な役割を持つ建物が設置されていたのだろう。ここで五輪塔が多数

出土し、妙京寺の田村氏の墓地に納められた。


私見・登城日2005・04・03  作成日2005・04・08  編集日2006・02・26

私見・登城日2005・08・15  作成日2005・09・03  編集日2006・02・26

郡家の公民館の中にある、図書館で城の資料を手にいれ、登城開始。郡家から志筑方面に走り、

一宮中学校の信号を左折し小さな川まで行く。この川の橋を渡って川沿いに歩いて行くと

右側に丘陵の側に行き着く。その丘陵を右に見て進むと、小さなセメントの橋がある。ここが

大手口で左側のお家が山の持ち主です。その坂道を登って行くと10mほど行った左側に五輪塔が

ある。この五輪塔は、私が見つけて山の持ち主さんに報告、山を案内して頂きました。そのまま

登っていって、左折する道があり、左折して70mほど行くと土橋があり、右側に空堀が確認できる。

その奥が天守台で、持ち主の方は幼い頃はここでよく遊んだそうだ。五輪塔は数多く出土したが

強制的に、役場の職員が持ち去ったと怒っていた。私が見つけた五輪塔は、まったく気づかなかった

と言われ喜んでいただいた。


橋の上から城山を見る

土橋から堀切を見る

姫路城 都志城 明石城 出石城 叶堂城
有岡城 富松城 赤穂城 兵庫城
白巣城 上月城 龍野城 平野城
洲本城 佐用城 魚住城 尼崎城
竹田城 三木城 船上城 花隈城
篠山城 郡家城 枝吉城 庄田城
inserted by FC2 system