平野城
兵庫県神戸市東灘区御影山手
南北朝時代 城主 平野氏
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平野城は、阪急電鉄御影駅一帯にあったといわれている。≪摂津志≫に『御影村の城、観応年間
平野氏ここに拠れり』と記されており、観応年間(1350〜52)に平野忠勝が在城したが戦いに敗れ、
南西にある郡家に退いて農業に従したことが平野氏の古記録に残っている。一帯には古くは
『城の前』『大蔵』『滝ヶ鼻』などの字名があり、現在『大手筋』という名称も残っている。また、御影駅
の北側の深田池は堀の名残であるといわれ、さらに御影小学校の東側に塁濠の跡らしき地形がある。
私見・登城日2005・09・11 作成日2005・09・15 編集日2006・03・04
本日最終の城に登城。昭和48〜53年迄、この地に住んでいたが城跡など想像もしていなかった。
当時の住所は、雨ノ神、駅前が中島だったが現在は住吉全体が本町に変わってしまっている。
国道2号線から、東灘警察の西側の大手筋よりの登城。坂道を登って行き水道筋も通り過ぎ、
阪急御影駅のガードをくぐり少し行くと、左側に深田池がある。当時は何回となく通っていたが、
釣堀か、ため池ていどに思っていたが、本日、池の辺に立つと当時の伊藤忠兵衛宅が本丸跡で
消防所が大手門跡のような気がする。池の巾から察すると、広大な城が想像できる。
現在は本丸跡にはマンションが建っているが、当時の名残をよくとどめている。
大手門跡付近から本丸跡を望む