船上城
兵庫県明石市船上字古城
≪付き・林ノ城≫
築城年代・天正十四年(1586)
城主・高山右近重友
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船上城は明石川河口の西側明石海峡に面した地にある。海峡と明石川の湿地帯に接して築かれた
平城、水城でもある。豊臣秀吉が織田信長の後継者として全国制覇に着々と近づいていた、
天正三年(1585)に国替えを断行した。長宗我部元親を降ろして四国を平定し、関白になった直後で
≪天正の国替え≫といわれた。この国替えで、明石与四郎則実に代わって、明石郡を与えられた
高山右近重友は、明石城≪枝吉城≫に入城し、船上築城とその城下建設に取りかかっている。
豊臣大名として重友の絶頂期であり、絶大な権力で翌十四年に城と町をほぼ完成させている。
私見・登城日2005・09・11 作成日2005・09・25 編集日2006・03・04
船上城は、明石警察の裏手にある。明石警察に飛び込み、船上城の位地を聞く。応対してくれた
警察職員の方が城に興味を持っている方で丁重に教えて頂いた。警察の裏手に見える森が
その城です。駐車場が無いので、近くに公民館がありますから、そこに置かしてもらって下さいと
ニコッと笑って教えていただいた。公民館の前に行ったが、駐車場が設置されていない。あっ!
そうか、警察官が路上駐車をしなさい、とは言えないので、ニコッと笑ったと解釈し公民館の前で
路上駐車をし、城に向かう。資料では田んぼの中とあるが、住宅地のド真中に田畑があるような
雰囲気では無い。駄菓子屋さんと豆腐屋さんの間を入りマンション・文化住宅が並ぶその時、突如
田んぼが目の前に見えた。唖然!。やはり資料は確かだ。畔道を回り込み、由来書を読む。
ここは、かっては本丸で元和三年(1617)小笠原忠真が入城し、明石城を築き船上城を廃城した
と書かれていた。少し離れて城全体の写真を撮ろうとしたが、その間に蚊に5〜6匹に刺され逃げる
ように退城させられたので写真は5枚だけ!。
本丸跡
由来書