上月城
兵庫県佐用郡上月町
≪太平山上月城≫
延元元年(1336)築城者 上月次郎景盛
099
正式には太平山上月城といい、延元元年(1336)上月次郎景盛によって築城。その後
嘉吉の乱に連座し、三代景則の時、上月氏は滅亡。城は赤松氏が修復したが、政範
の時、秀吉に攻められ、天正五年(1577)落城。次いで秀吉から城を与えられた尼子氏
は、毛利方の大軍に囲まれ、山中鹿之介の忠節もむなしく、自決した。城跡には赤松氏
の墓がある。
私見・登城日2004・04・25 作成日2004・05・09 2006・03・05
松江城に行く途中、ナビに上月城が写った。真夜中の2時過ぎ、時間が時間だけに山には上がれない
と言うことで、登城口の写真だけでも撮っておくか!と車を上月城方面に向ける。上月城の看板を発見!
左折して200m程のところに大手筋が見えた。大手筋の前の大きな駐車場に停め、大手筋を500m程
登ったところで写真を撮り終え、松江に向かった。米子城からの帰り、登城して帰った方が悔いは残ら
無いだろうという事で17時過ぎから上月城を目指す。17時30分大手筋前の駐車場に到着。駐車場で
向かいのお寺の住職さんが、今から登るのですかぁ〜。それはそれは、ご苦労さんの事でと言ってくれ
見送ってくれた。約30分で本丸に到着。歴史的には来ててみたっかった城だが、遺構を発見できず、
写真・ビデオを撮り、下山する。でも桜の花が満開でよかった。でも納得がいく登城だった。
大手道の看板
大手筋の標識
この道を入る