花熊城
兵庫県神戸市中央区花隈町
永禄十一年(1568)城主・和田惟政
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永禄十一年十月に摂津を和田惟政に与えた時に築かせたか、天正二年(1574)に信長が摂津を
席巻した時に大坂の石山本願寺と毛利氏の連続を断つために荒木村重に命じて築かせたのか
どちらかではないかとかんがえられる。村重によって一ヶ年の短期間で築かせたことから考え合
わせてみると、永禄十一(1568)年に築城され、天正二年(1574)に大修築が行われたのかもしれ
ない。その時、荒木志摩守が居城した。同六年(1578)に村重の部下がひそかに石山本願寺に
物資を供給しているとの疑いをかけれれ、村重は疑いを解くために信長のもとへ行こうとしたが、
中川清秀に安土城に行けば処刑されるだけだと止められ、ついに叛逆を決意した。
信長は、滝川一益・明智光秀らに村重を攻めさせ、村重は伊丹の有岡城に籠もった。
翌七年(1579)九月、村重は城を脱し、尼崎城に入り、十月、有岡城は落城し、一族はことごとく
慘殺された。
私見・登城日2005・08・15 作成日2005・08・28 編集日2006・03・04
兵庫城から北に約5km。JR元町駅から高架沿いに西に600mの信号を北『右折』に曲がり、
JRの高架をくぐると、花隈公園『花熊城』がある。公園の地下が市営駐車場になっていたので
ここに車を預ける。公園の周りは、切込ハギの石垣が見事に積まれている。
登城口は東と南にあるが、南が大手口のような気がするので、南からの登城開始。
公園になっていると聞いていたので、2〜3段の石垣を想像していたが、この石垣にはビックリ!。
一段目は三の丸で、城の由来書がある。『城の地点は海に面して突き出たハナグマの名の通り
の台地で海陸の要害地』と書かれていた。上段の本丸は、600mx300m。天守跡に城碑が建て
られていたが、この城碑も平成7年の地震で倒れ、二代目の城碑だと書かれていた。
登城して感じることは、やはり現地に来て自分の手で触れ、目に焼き付けた城は絶対忘れない!。
花隈城の石垣
花隈城の由来書
二代目の城碑
≪花隈城≫
平城