龍野城
兵庫県龍野市龍野町
≪朝霧城≫
明応八年(1499)築城者・赤松村秀
157
模擬復元櫓
昭和五十四年(1979)
揖保川沿いに標高二百十bの鶏龍山頂に最初の城を築いたのは赤松政則で、
明応八年(1499)のこと。
四代広英まで約八十年間居城とし、縄張は最後の城主広英の時代に拡張されたとも、
その後の修補ともされるが、中世山城の面影を伝えている。別名も朝霧城。
城は天正五年(1577)広英の時に羽柴『豊臣』秀吉によって攻められ蜂須賀正勝が入城した。
その後福島正則・木下勝俊・小出吉正・山口広貞・石川光元が城主となり光元の時に山麓に
居館を設けられた。近年復元された本丸御殿などは脇坂安政の時築城された。
山城 標高210m
私見・登城日2005・09・11 作成日2005・09・21 編集日2006・03・05
櫓を右に見て、土塀沿いに進むと復元された櫓門が見える。門をくぐり、左に曲がり古城の矢印を
見た時!。駅から10分。標高210m。この数字の謎が解かれた瞬間だ!!。見た以上行くべき!。
網の柵をかき分け古城に挑む!。最初はゆるやかな坂道が、20分ほど進むと勾配がきつくなり
一歩、一歩が大変だ!。道標がなくなる。取り合えず山頂目指して進む。30分ほど来た所で
崩れた石垣が見えてきた。足を滑らしながら上がること15分、本丸に入る。城碑も確認できたし
カメラ・ビデオを分担して撮り続ける。タオルで汗を拭き、下りる準備をしていると、1人の女性が
汗ビッショリになって上がってきた。建物はどこですかぁ?。と聞かれても、ここには何も無いです。
あるのは、この古城の碑だけですよ。天守があると思い1時間近くかけて1人で上がって来たと。
残念でした!。手にはしっかりとカメラを持っていたので撮りましょうか?。言ったら、お願いします
と言った女性の足には、ハイヒールが履かれていた。これはすごい事です!。先に下りて車に戻り
クーラー全開服を脱ぎ、クーラーの噴出し口に袖を当て、車内汗臭いまま次の目的地に向かって
アクセル全開〜
本丸からの展望
古城への道
古城碑
て・さ