洲本城
兵庫県洲本市小路谷
室町時代後期 築城者 安宅氏
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大永六年(1526)に安宅隠岐守が築いたとも、その子の安宅河内守が永正七年(1510)に築いたともいう。
安宅氏は感応元年(1350)に足利氏の命で海賊退治のため来島し、城を構えた。当時の洲本城は三熊山
北麓に築かれ、城下町は現市街の東半分に展がり、海岸通り一帯に船入りを設けたが、安宅氏も秀吉に
よって滅びる。天正十三年(1585)秀吉は洲本城を脇坂安治に与え、脇坂氏は水軍を組織化して、三熊
山頂に築城した。やがて脇坂氏が転封となり、元和元年(1615)阿波藩領となった淡路は、蜂須賀至鎮の
所領となる。蜂須賀氏は、由良に城代稲田氏を置いたが、寛永八年(1631)のいわゆる≪由良引け≫で、
由良から洲本へ四年がかりで城と城下町を移転させた。三熊山麓に残る石垣や堀は、その時築かれた
蜂須賀氏の御殿跡で、蜂須賀氏は、この時同時に山上の城を大改築し、城下町も建設した。以来洲本は
阿波徳島藩城代稲田氏の城下町として発展し、明治まで二百五十年続くのである。
私見・登城日2002・08・15 作成日2002・09・03 編集日2006・03・05
私見・登城日2003・05・02 作成日2003・05・25 編集日2006・03・05
洲本城天守の端の売店のおばさんに聞く
廃城以後、滋賀県の穴太衆の皆さんの力により3回の修復で現在の石垣の姿が保たれているとの
ことでした。又三熊山とは『高熊山・乙熊山・虎熊山』をまとめていう。洲本城は高熊山に城郭を造る。
≪模擬天守≫
昭和五年築城
平山城