出石城
兵庫県出石郡出石町
天正二年(1574) 山名氏政
≪有子城≫
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築城当時は山城
山城
平山城
慶長九年(16004)小出吉英
出石城は、山城と平山城が同居している。現在の出石のシンボル、旧大手町の辰鼓櫓や本丸跡
の隅櫓(昭和四十三年復元)のある出石城は、慶長九年(1604)にこの地の大名となった小出吉英
が築いたものである。一方、室町・戦国期に中国・山陰地方に強大な領国を支配し、全国六十余国
のうち十一国を領し、六分一殿といわれた山名氏が築いた出石城は、最初出石神社の北方子盗山
『此隅山』にあった。が、羽柴秀吉に攻略され、山名祐豊・氏政父子が天正二年(1574)に南方の
有子山頂に山城を完成させた。この山城を高城といい、標高三百四十一メートルの山頂にあって
規模も大きく、現在も当時の石垣や堀切・武家屋敷跡が残されている。
天正八年秀吉の再度の攻略にあい、この高城も落城した。以後、高城城主は、豊臣治下において、
木下昌利・青木勘兵衛・前野長康を経て、文禄四年(1595)に播磨の龍野から転封された、小出吉正
が、五万三千石を領して城主となる。その子吉英が、有子山頂から城を山麓に移したのである。
外郭は三の丸といわれ、宝永三年(1706)以来城主となった仙石氏の屋敷の長屋門と長塀、
望楼物見櫓式の辰鼓櫓が現存している。
私見・登城日2002・09・29 作成日2002・10・17 編集日2006・03・04
市営駐車場に車を停め、辰鼓櫓の近くにあるそば屋さんで昼食をとり、歩くこと15分ほどで
出石城登城橋・登城門に着く。石段を上がること20分、本丸にたどり着く。本丸跡には
昭和43年に隅櫓が復元され石垣とのバランスがマッチしている。
出石城登城門
本丸跡