日本城巡り
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明石城

兵庫県明石市明石町

≪喜春城・錦江城≫

城主 小笠原忠真

153

元和四年(1618)

この城の城主は歴代にわたって、石高が増加されて明石藩主になるか、また、加増された要地に

移るされる、別名『喜春城』と呼ばれ,

まことに縁起の良い城とされている。

というのも、まず初代小笠原氏は、十万石で入部し、五万石増加され豊前小倉へ。

松平氏は、五万石から七万石に。大久保氏も五万石から七万石に。さらに五万石の越前大野藩主

松平氏は六万石に加増されて入部した。明石といえば鯛で代表されるが、このめでたい明石城は、

信濃の松本から入部した小笠原忠真『初代忠政、家康の外曽孫』によって築城された。忠新は、

元和三年(1617)に最初船上城に入り、幕府の命で現在の地へ新城を築いた。忠新は、妻の父

である姫路城主本多忠政の協力で、翌五年正月から着工した。資材には一国一城令で廃城に

なった三木城・高砂城・船上城・枝吉城などが解体されて使用されたという。


私見・登城日2005・08・15  作成日2005・08・28  編集日2006・02・25

東の丸にある、県立図書館の駐車場に車を預け二の丸・本丸と歩くこと30分、本丸からの展望は

素晴らしいものがある。2km先にある外堀に沿って、JR明石駅があり、その後には明石海峡を

挟んで淡路島が見える。その淡路島と明石に明石大橋が架かり見事な景色を見せつける。

小笠原氏は、こんな光景を想像出来なかっただろう。明石城に来て感じた事は、案内板が一つも

ないのである。坤櫓と巽櫓の間を木の板をひきしめ高くして展望が良くなるようにしているのは

いいのだが、その坤櫓にも巽櫓にもなんの案内もされていないのには驚いた。これでは初めて

来た人にはわかり難いように思えるのだが?。次は郡家城に行くのに久し振りにフェリーに乗って

淡路島にわたることにした。


巽櫓

巽櫓と土塀

坤櫓と土塀

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