赤穂城
兵庫県赤穂市上仮屋
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慶安元年(1648)築城者・浅野長直
≪加里屋城≫
室町時代に赤松満祐『あかまつみつすけ』の一族の岡豊前守『おかぶぜんのかみ』が築いた
≪加里屋城≫がその始まりとされている。豊臣秀吉の時代、天正十四年(1586)から生駒親正
が治めたが、翌年には高松に移封され、宇喜多秀家の所領となった。その後、慶長五年(1600)
の関が原の戦い以降は、池田輝政が播磨五十二万石として姫路城を中心に領地し、赤穂には
一族の池田長政を置いた。慶長八年(1603)輝政の次男忠継に備前二十五万石が与えられ、
長政は下津井城に移り、赤穂には垂井半左衛門が郡代として置かれた。
私見・登城日2005・09・11雨上がり 作成日2005・09・19 写真編集日2006・10・01
朝6時に出発。名神茨木から近畿自動車道〜山陽道と乗り継ぎ、赤穂に8時半頃に到着。
9時開門と書いてあるのでそれまで周りの散策をする。想像していたより広大な規模にビックリ。
いつものように大手門からの登城。二の丸を通りカンカン石を叩き、本丸門をくぐる。御殿跡の
様子は、床敷きをコンクリートで表している。天守台は本丸南東部に接するように建てられ、
高さが9mもあるが、天守そのものは建てられることは無かったようだ。天守台からの眺めは
最高だが、ステンレスの杭が無ければ、なおさら結構なのだが?。のち、刎橋門から退城しょうと
したが、オット!。橋が無い!。仕方なく、癜口門まで戻り、東仕切門を通り水手門からの退城と
なった。門を出て、木の桟橋を渡る瞬間!?、左に黒い恐竜の首がニョキッ!!、だが、黒鳥が泳いでいた。
天守台
大手門
癜口門
大手北東隅櫓
大石りく女生誕之地の碑 『デジカメ』
平成十八年九月三十日余部鉄橋から帰り道に
偶然見つけた碑を交差点右折寸前激写!。