日本城巡り
本文へジャンプ
姫路城 都志城 明石城
有岡城 富松城 赤穂城
白巣城 上月城 龍野城
洲本城 佐用城 魚住城
竹田城 三木城 船上城
篠山城 郡家城 枝吉城
出石城 兵庫城 平野城
尼崎城 花隈城

赤穂城

兵庫県赤穂市上仮屋

156

慶安元年(1648)築城者・浅野長直

≪加里屋城≫


室町時代に赤松満祐『あかまつみつすけ』の一族の岡豊前守『おかぶぜんのかみ』が築いた

≪加里屋城≫がその始まりとされている。豊臣秀吉の時代、天正十四年(1586)から生駒親正

が治めたが、翌年には高松に移封され、宇喜多秀家の所領となった。その後、慶長五年(1600)

の関が原の戦い以降は、池田輝政が播磨五十二万石として姫路城を中心に領地し、赤穂には

一族の池田長政を置いた。慶長八年(1603)輝政の次男忠継に備前二十五万石が与えられ、

長政は下津井城に移り、赤穂には垂井半左衛門が郡代として置かれた。


私見・登城日2005・09・11雨上がり  作成日2005・09・19  写真編集日2006・10・01

朝6時に出発。名神茨木から近畿自動車道〜山陽道と乗り継ぎ、赤穂に8時半頃に到着。

9時開門と書いてあるのでそれまで周りの散策をする。想像していたより広大な規模にビックリ。

いつものように大手門からの登城。二の丸を通りカンカン石を叩き、本丸門をくぐる。御殿跡の

様子は、床敷きをコンクリートで表している。天守台は本丸南東部に接するように建てられ、

高さが9mもあるが、天守そのものは建てられることは無かったようだ。天守台からの眺めは

最高だが、ステンレスの杭が無ければ、なおさら結構なのだが
。のち、刎橋門から退城しょうと

したが、オット!。橋が無い
。仕方なく、癜口門まで戻り、東仕切門を通り水手門からの退城と

なった。門を出て、木の桟橋を渡る瞬間
!?、左に黒い恐竜の首がニョキッ!!、だが、黒鳥が泳いでいた。


天守台

大手門

癜口門

大手北東隅櫓

姫路城 都志城 明石城 出石城 叶堂城
有岡城 富松城 赤穂城 兵庫城
白巣城 上月城 龍野城 平野城
洲本城 佐用城 魚住城 尼崎城
竹田城 三木城 船上城 花隈城
篠山城 郡家城 枝吉城 庄田城

大石りく女生誕之地の碑  『デジカメ』

平成十八年九月三十日余部鉄橋から帰り道に
偶然見つけた碑を交差点右折寸前激写!。

inserted by FC2 system