白巣城
兵庫県洲本市五色町塔下
天正九年(1581)
安宅九郎左衛門冬秀
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天正九年(1581)十一月に、羽柴筑前守秀吉の淡路征伐により、滅ぼされたと伝えられる。
時に、淡路の城主は皆降伏したが、冬秀公只一人が従わず、秀吉の軍勢を攻め、登らぬように
城の登り坂に、竹の皮を敷き占めたが、秀吉軍はこれに火を放し、城を焼き討ちにしたのである。
城主冬秀公は、もうこれまでと覚悟を決め潔く火中に身を投じ、自害し果てたと伝えられる。ところで
白巣城城郭についてみると、中世後期の築城で山上の天嶮を巧みに利用した砦で、城郭白巣山の
丘陵上を削平し、大小十五の台地を造り、それに空堀とか土塁を備えていた。台地の主なものは、
本丸・東の丸・西の丸・米蔵・馬漬場・馬勢場・物見台などで、櫓が築かれていたようである。
私見・登城日2002・08・15 作成日2002・09・08 編集日2006・03・05
都志城から洲本城に行く途中、鮎原付近で白巣城の看板を発見!。慌てて右にハンドルを切る。
畔道で車が一台何とか通れそうな細い道を、おそる、おそる進む事、10分。三叉になる。ここに
白巣城付近の見取り図がある。ここを左折して急な登り坂を20分、クーラーを入れてローギア
で高回転するので水温は沸騰寸前!。何とか駐車場にたどり着く。駐車場は30台は停めれそうな
広い駐車場に一台だけ停めて、登城開始。駐車場から道沿いに上っていくと、右側にハシゴガある。
この急なはしごを上がり、あとは道標どうりに歩くこと15分で本丸に着く。本丸から西浦海岸が
見通せ、城としての立地条件はすごいと思った。
本丸から西浦海岸が見通せる
駐車場にあった白巣城の見取り図
白巣城の城碑
本丸跡