日本城巡り

合戦

松本城

深志城

長野県松本市丸の内

文禄・慶長年間
城主・石川数正

国宝

053

現存天守

1597年


松本城 犬甘城 寺尾城
上田城 上の山城
松代城 小諸城
井川城 龍岡城

天守最上段の内部

松本城・大天守

松本城は戦国時代の永正元年(1504)に小笠原氏一族の

島立貞永が築いた深志城に始まったという。

天文十九年(1550)に甲斐国武田信玄に攻められて落城し、

小笠原氏は去った。

以後、三十二年間にわたって武田氏の信濃攻略の戦略拠点

となり、甲州流普請が施された。

安土桃山時代の天正十年(1582)に織田信長の攻撃で

武田氏が滅び、再入城した小笠原貞慶『さだよし』が大修築した

本丸・二の丸・三の丸を儲け、堀と塁を巡らし、虎口が五箇所に置かれた。

天正十八年の豊臣秀吉の小田原攻略後、徳川家康の関東移封に伴い、

小笠原氏に代わって石川数正が入り、近世城郭の建設と本格的な城下町

づくりに着手した。数正は文禄二年(1593)に死没。嫡男の康長が偉業を継ぎ

今に残る、国宝指定の天守・乾櫓・小天守・渡櫓は、このとき完成した。

寺院や侍屋敷の建設も進み、女鳥羽川の川道変更も図られた。

江戸時代の城主は小笠原・松平『戸田』・松平『越前』・堀田・水野

・松平『戸田』が続いた。国宝指定の辰巳付櫓・月見櫓は松平直政の

寛永年間(1624〜1644)の建造である。


私見・登城日2003・06・08  作成日2004・05・03  編集日2006・05・14

朝5時過ぎに着く。あとの事を考えて、城郭を探索大手道からの登城。堀を挟んで天守が飛び込んでくる。

凄い迫力がある
。思わず連続シャッター。眠気が吹っ飛ぶが、まだ登城できない。ビデオ・カメラで

外観の撮影を終え、うしろを振り返りながら上田城に向かう。

午後3時、再登城を無事済ませ、そば庄松本城店で、名城ざるそばセットを食う。

 て・さ
 て・よ
 て・さ

私見・登城日2005・07・17  作成日2005・08・07  編集日2006・05・14

私見・登城日2006・04・02  作成日2006・04・25  編集日2006・05・14

夕方5時過ぎ小諸城を出発。松本城を目指し、関越自動車道経由長野自動車道に入り、松本インターまで来た。

一般道に降り、ナビが松本城まで5kmの標示を示したが、永い時間に思えた。松本城に着くなり城に駆け込む。

太鼓門からの登城で、黒門をすり抜け、ドラマによく映る埋橋を見ながら堀端を散策。時間が遅いので天守には

上がれなかったが、外観が見れただけでもよかった

どうしても、松本城に来るのが最終になるので、夕方になる。朝7時に龍岡城に登城して最終が松本城。

今回は、天守に上がれて、すこぶるテンションも上がる。現存天守の落ち着いた雰囲気を見ているだけでも

心が癒され、城の持つパワーをもらったように感じた。

弘前城

松本城

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現存天守

私見・登城日2010・03・02  作成日2006・03・17 

私見・登城日2011・01・08  作成日2011・01・16

朝8時30分松本城近くの民間駐車場に車を停め、松本城を思う存分散策できた。
少しは雪景色を期待したが、昨日まであった雪は温かさのため殆んど残っていなかった。
道路の端に黒く汚れた雪が所々に置かれているだけで、車の走行には異常なしでした。

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