日本城巡り

丸亀城

≪亀山城≫

現存天守

慶長二年(1597)
築城者・生駒親正

1643年

015

香川県丸亀市一番町


丸亀城
屋島城
高松城

大手門の正面の石垣

大手門から天守が望める

天正十五年(1587)に讃岐一国十七万三千石の

大名として入封した生駒親正が、天正十六年に

高松に本城『高松城』を築き、次いで慶長二年(1597)

になって西讃のおさえとして、丸亀城を大きく造り替え

たのである。

今の丸亀城の基礎は、この時にできあがるのである。

ところが、元和元年(1615)六月に江戸幕府から発せ

られた『一国一城令』によって、丸亀城は破却の憂き

目を見るのである。

一国に一つの城しか持てないと定められた時、生駒家

では高松城を残して丸亀城を廃城とした。

しかし、万一場合に備え、土を盛って石垣を隠し、樹木

を植えるなどカムフラージュしたという。

生駒家のこのような深慮遠謀も四代五十四年で、

お家騒動のためわずか一万石で秋田の寒村へ流された。


私見・登城日2001・02・18  作成日2001・02・28  編集日2006・04・23
私見・登城日2003・09・21  作成日2004・02・11  編集日2006・04・23

今治城から最終目的の丸亀城に向かってアクセルを踏み込む。時間が余り無いので電話を入れる。

が、出ない!。何度かけてもでない
!?。堀が見え、山の上に天守が見えた!”。大手前に車を

よこづけし、登城開始。勾配のキツイ坂道を猛ダッシュ
。25分の坂道との戦いの末山頂に到着

汗を拭きながら天守にたどり着く。が、天守の入口が閉まっている。3時34分なのにおかしいなぁ


汗を拭きながら、入口の、それも勝手口みたいな扉一枚の横に
、『12月〜3月末迄閉館します』だって。

あ〜ぁ知らなかった
。知らなかった。それで、電話に出なかったのだ。もう一度来るからと言って退城。

2回目の登城。今回は9月だから天守の閉館は無い。前回行けなかった高知城からの登城となった。

大手門前の市営駐車場に車を預け、今回は堀・石垣の観察をしながら山頂まで40分かけて上がった。

天守の入口に係員の方が4〜人で整理をしていた。天守を見て、こんなに大きかったかなぁ


前回来たときは、普通の民家の倉庫のように見えたが、さすが現存天守風格があり、立派な建物である。

現存天守
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