日本城巡り

高松城

≪玉藻城≫

現存櫓 1677年

香川県高松市玉藻町

121

天正十六年(1588)
築城者・生駒親正


丸亀城
屋島城
高松城

天正十五年(1587)戦国乱世の統一を成就した

豊臣秀吉は、生駒親正に讃岐の大守を任命した。

讃岐入りした親正は、まず弘田の古城『大川郡』

に入城。しかしこの城は東讃岐にかたよりすぎて

いたために、今度は聖通寺城に移った。この城は

かっての秀吉四国征伐の軍功により、戦国秀久が

居城した山城だった。讃岐のほぼ真ん中という

地理的条件にはかなっていたもにのの、山城の

持つ宿命的な狭隘さはいかんともしがたっかた。

そこで新しい築城候補地として選ばれたのが、

当時、『篦原荘』と呼ばれていた今日の高松である。

このあたり一帯は、玉藻浦と呼ばれた寒村で、水草の

茎根が波に洗われる浜辺で、北は海、西に山塊を

めぐらせ、東は入江を抱いて南にひらけた城地としては

理想的な条件を備えていた。このことは、城の縄張をした

当世第一の築城家とうたわれた藤堂高虎と、九州中津

城主であった黒田如水孝高が、ともに『この城地はまれ

に見る天然の要害で、船便もよく、国主の居城地として

味方千騎に価する』絶賛したということからも容易に想像

がつく。


私見登城日2004・11・21  作成日2004・11・23  編集日2006・04・23

朝6時に自宅を出発。茨木から名神自動車道に入り、近畿自動車道〜中国道〜山陽道と乗り継ぎ

明石海峡大橋を渡り淡路縦貫道〜鳴門海峡大橋〜四国縦貫道を経て高松に9時到着。

先に屋島城に登城してから、この高松城にやって来た。高松城での見どころは、何と言っても

満潮時に海水が湧き出る堀である。着見櫓・付櫓・水の手門・堀と撮影をして車に戻る。

延宝五年(1677)頃に完成した着見櫓

満潮時、海水が吹き出て堀がいっぱいになる

て・よ・ち・は

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