日本城巡り

屋島城

香川県高松市屋島東・中町・西町

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建武二年(1335)
築城者・高松頼重


丸亀城
屋島城
高松城

高松市の北東部に瀬戸内海に向って突き出た屋根のような半島がある。これが屋島で最高所の最高所の       

南嶺は標高292mを数える。そこから北嶺に向って尾根が延びている。北嶺の標高は286mと、南北とも

にほぼ同じ高さである。南嶺と北嶺の山頂部のうち、南嶺は駐車場・屋島寺・旅館などの、いわゆる

観光地としての施設を集中させている。南北1200m、幅は広い所で600mである。屋島は江戸時代の

初めごろまでは独立した島で、寛永10年(1633)の《讃岐国絵図》には、本島と切り離された島の様子が

描かれている。のち、高松藩によって埋め立てがおこなわれ、わずかに相引川にその面影を

とどめるにすぎない。現在の屋島は10ku。源平の古戦場についてみると、源平合戦の場は

屋島の東部海岸のいわゆる壇ノ浦である。正面の海は当時は入り江となって南から

西部海岸までつながっていたが、今日では屋島湾となって、対岸に五剣山をみることができる。

屋島における源平の合戦は寿永4年(1185)2月19日に始まった。

源義経が平家の陣に急襲したのは20日、21日されており、わずか3日間の戦いであったという。

当時の平家の陣は現在の安徳神社付近を中心に対岸の牟礼町の六万寺にかけての一帯であったらしい。

牟礼の海岸に総門跡という地名があるが、ここは海岸に柵を構え総門を建てて海上の

防備をはかっていた所という。中世において建武2年(1335)10月、細川定禅が喜岡城の

高松頼重を攻めた時に、頼重は喜岡城を出て屋島山麓に布陣したという。

ついで天正11年(1583)に仙石久秀が引田城・雨滝城を攻め落し、

高松城を攻めた時は、久秀はそれより先に屋島を奪って城にしょうと

したが山が高くて益がないということで中止したといわれている。

屋島展望台


私見・登城日2004・11・21 作成日2004・12・31 編集日2006・05・28

淡路島の都志から淡路縦貫道に乗り、鳴門大橋を渡り四国縦貫道で高松までの時間は1時間30分。

市内より屋島間で30分屋島有料道路で景色を楽しみ、頂上付近のレストランまで来た。

ここから歩いて20分石塁・土塁・曲輪が残っている。

駐車場 レストラン前無料  入城料 無料

有料道路 610円

て・よ・か・と

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