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高知城
≪大高坂城≫
現存天守
1748年
高知県高知市丸の内
慶長六年(1601)
築城者・山内一豊
平山城
高知城は関が原合戦の翌年の慶長六年(1601)九月から
土佐国主山内一豊によって始められた。
城地の大高坂山と麓は、かつて豊臣大名長宗我部元親が
築城しようとしたが、入海と二大河川のデルタのため工事は
困難をきわめ、断念。湾口桂浜の丘上に浦戸城を築いた。
一豊は、築城家として名を知られた百々越前守安行を普請
総奉行に任じ、穴太という伝統的な石積み技法で水を制して
堅固な石塁がめぐる城を築いた。
慶長八年(1603)八月、浦戸城にあった一豊は一応かたちが
整った城に入り、河中山城名づけた。河中山が高智、さらに
高知と記されるのは、二代城主忠義の時代である。
私見・登城日2003・09・21 作成日2004・02・15 2006・04・20
真夜中の1時過ぎ、ドシャ降りの雨の中、自宅を出発。いくら晴れ男だからと言っても、今回は観念して
の出陣となった。名神自動車道茨木から入り、近畿道〜山陽道〜中国道〜明石大橋を渡り、淡路縦貫道
から鳴門大橋を渡り、四国縦貫道に乗り三好郡で下りる。吉野川沿いで東山城に寄ってからの登城となった。
この時、一時的に雨が上がり登城を終え、車に戻るなり雨が降り出して二人で顔を見る。
途中、学校放送で運動会の中止の放送があちこちで聞こえてくる。やっぱり今日の雨は上がらないなぁと
言いながら高知城を目指す。11時過ぎ高知県に入り、11時半城の北側の駐車場に到着。天気晴れ!。
やっぱり晴れてしまった。これまで城巡りをして雨にあったことが一度もないのである。自宅を出る時にどんなに
雨が降っていても、現地が雨の予報がでていて道中は降っていても、かならず雨は上がるものと
今回も確信した。登城は大手門からと決めているので、今回も大手からの登城となった。
大手門をくぐり、石段を上がっていくと右手に一豊の名馬の像見て進み、廊下橋より天守に上がった。
天守からの眺めは最高で、一日かけて見たいが手際よく見て周っても、3時間かかった。
追手門から天守を見上げてみると、自然と口が半開きとなり眉が下がってる自分に気がつき、
慌てて気を引き締め、さっそうと退城した。
私は、雨男で息子が晴れ男です。
天守からの展望
廊下橋と天守
て・さ