日本城巡り

064

高知城

≪大高坂城≫

現存天守

1748年

高知県高知市丸の内

慶長六年(1601)
築城者・山内一豊


平山城

高知城は関が原合戦の翌年の慶長六年(1601)九月から

土佐国主山内一豊によって始められた。

城地の大高坂山と麓は、かつて豊臣大名長宗我部元親が

築城しようとしたが、入海と二大河川のデルタのため工事は

困難をきわめ、断念。湾口桂浜の丘上に浦戸城を築いた。

一豊は、築城家として名を知られた百々越前守安行を普請

総奉行に任じ、穴太という伝統的な石積み技法で水を制して

堅固な石塁がめぐる城を築いた。

慶長八年(1603)八月、浦戸城にあった一豊は一応かたちが

整った城に入り、河中山城名づけた。河中山が高智、さらに

高知と記されるのは、二代城主忠義の時代である。


私見・登城日2003・09・21  作成日2004・02・15  2006・04・20

真夜中の1時過ぎ、ドシャ降りの雨の中、自宅を出発。いくら晴れ男だからと言っても、今回は観念して

の出陣となった。名神自動車道茨木から入り、近畿道〜山陽道〜中国道〜明石大橋を渡り、淡路縦貫道

から鳴門大橋を渡り、四国縦貫道に乗り三好郡で下りる。吉野川沿いで東山城に寄ってからの登城となった。

この時、一時的に雨が上がり登城を終え、車に戻るなり雨が降り出して二人で顔を見る。

途中、学校放送で運動会の中止の放送があちこちで聞こえてくる。やっぱり今日の雨は上がらないなぁと

言いながら高知城を目指す。11時過ぎ高知県に入り、11時半城の北側の駐車場に到着。天気晴れ


やっぱり晴れてしまった。これまで城巡りをして雨にあったことが一度もないのである。自宅を出る時にどんなに

雨が降っていても、現地が雨の予報がでていて道中は降っていても、かならず雨は上がるものと

今回も確信した。登城は大手門からと決めているので、今回も大手からの登城となった。

大手門をくぐり、石段を上がっていくと右手に一豊の名馬の像見て進み、廊下橋より天守に上がった。

天守からの眺めは最高で、一日かけて見たいが手際よく見て周っても、3時間かかった。

追手門から天守を見上げてみると、自然と口が半開きとなり眉が下がってる自分に気がつき、

慌てて気を引き締め、さっそうと退城した。 

     
私は、雨男で息子が晴れ男です。

天守からの展望

廊下橋と天守

現存天守
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