日本城巡り

伊予

松山城

現存天守

≪勝山城≫

愛媛県松山市丸之内

013

慶長七年(1602)
  加藤嘉明

≪国重≫


入城料350円

宇和島城
松山城
今治城
天正十一年(1583)の賎ヶ岳の合戦で、七本槍の一人

として抜群の手柄をたて食録五千石を与えられ、

その二年後には伊予の松前城《伊予郡松前町》六万石

城主にとり立てられている。

その後、朝鮮出兵の働きで九万七千石に増封され、

慶長五年(1600)の関が原の合戦には、徳川家康に見方

することによって一躍二十万石の大大名に列せられた。

二十万石の大見になってみると、小さな松前城では

治国の本拠にはふさわしくなかった。

そこで新城建設を幕府に願い出、許可を得ると現在の

城山へ築城が始まった。時に慶長七年のことである。

勝山と呼ばれた城山は、道後平野の中央部に孤立した

高さ百三十m余りの小山で、南北に二つの峰をもっていた。

大天守

大天守を見ながらロープウエイでの登城

築城にかかってから十三年目の慶長十九年に、ほぼ原型が

出来上がったものの、完成までに二十六年という歳月が費やされているのをみても、いかにその規模が

広大であったかが想像できよう。

建設途上すでに天下の三堅城の一つに数えられた松山城であったが、完成一歩前にして加藤家は

お国替えと決まったのである。寛永四年(1627)嘉明は未練を残し、会津若松城に四十万石で旅たった。


私見・登城日2001・02・・18  作成日2001・02・29  編集日2006・04・22

1854年

宇和島城から2時間余りで到着。駐車場近くから、ロープウェイで登城開始。約10分で城郭に着く。

現存天守では、一番新しく1854年の建築である。(前の天守は雷が落ち、全焼した。)

この松山城は、見るところが多く感動して立ち止まるところばかりだ。今まで登城した城で

一番写真の枚数が28枚と多い城である。その中から2枚の写真を貼り付けるのに1時間の時間を

要した。順次写真は貼りかえていく予定である。

現存天守
弘前城

松本城

丸岡城
犬山城
彦根城
姫路城
備中松山城
松江城
丸亀城

伊予松山城

宇和島城

高知城
inserted by FC2 system