犬山城
愛知県犬山市犬山
≪白帝城≫
天文元年(1475)
織田郷広
001
現存天守
室町時代、越前・尾張の守護として勢威を張った斯波氏が、
守護代として織田氏を尾張に配した。
文明元年(1469)織田郷広は犬山の地に木の下城を築き、
次男の広近にこれを守らせた。
現在地に犬山城が出来たのは天文六年(1537)で、
広近から四代目信康だという。
木の下城の造作をそっくり移築したのである。
守護代から尾張に根を下ろした織田家は、戦国時代に
よくみられるように、同族間でもお互いに争うようになる。
信康は、まず美濃の斉藤道三を攻めたが、敗退した。
一説では信康が木の下城を移したのは、三光寺山『犬山城のすぐ南西』だとの説も有力で、
ともあれ現在の犬山城は関が原の合戦のころ、時の城主、石川・小笠原両家によって、
近代犬山城の縄張がなされ、城下町の整備にも着手されたらしい。
私見・登城日1999・03・21 作成日1999・04・07 編集日2006・04・15
3月20、なんのあても無く、10年ぶりに白浜方面に息子と2人で一泊2日の旅に出かけた。
和歌山〜白浜〜尾鷲と進み、伊勢方面に進むことになり、そのまま名古屋まで来た。
そこで、息子が犬山城って遠いの?、と聞くのでナビで検索。約2時間半ぐらいの時間で
行ける事がわかり、そのまま犬山城に直行。これが記念する初めての登城となった。
昭和36年(1961)大規模な解体修理がおこなわれ、学者が工法その他を検討した結果、
城の下部は天文6年(1537)、上部は慶長初めの築造であることが判明した。
立地は北の木曽川隔てて中山道美濃路を扼し、南は尾張平野を一望する要所の地である。
大手門から南へ城下町が展開していたが、今は古い家並みも少なくなって町名だけが
残るのは寂しい。
現存天守の確認