日本城巡り

小牧山城

≪小牧城≫

模擬天守
 昭和43年

愛知県小牧市堀の内

115

山城 85m

永禄六年(1563)
  織田信長


犬山城 長篠城 岡崎城
清洲城 名古屋城 大高城
野田城 小牧山城 吉田城

永禄三年1560)に今川義元を破った清洲の織田信長は

美濃斉藤氏に対するため、永禄六年に小牧山に築城する。

山麓に三重堀と総構えの長堀を造り、清洲城下から移った。

そして斉藤氏に圧追し、永禄七年には斉藤氏の居城

稲葉山城を攻略した。

戦勝後、居城を稲葉山に移したため小牧山は廃城とされた。

時代は変わる。天正十二年(1584)全国統一をしょうとする

羽柴秀吉と確執が深まった織田信雄は、徳川家康に助力を請う。

秀吉四十九歳・家康四十三歳。清洲に居た家康は、

三月二十八日、小牧山へ進み諸隊を山麓に敷陣させた。

二十九日、織田信雄も長島から小牧山に入る。

五日、秀吉は犬山から楽田に本営を築いて移っている。

相手を知り尽くしている二人はなかなか自分からは仕掛けられない持久戦となった。

均衡を破ったのが、秀吉方の武将池田信輝である。『今、徳川の本拠地三河には守備兵がいません。

家康の本城岡崎を奪取しましょう。』と信輝は提案した。秀吉は思考の後この献策を入れる。

三好秀次と森長可を付属させて六日の夜半に密かに行動を起こし、三河へ向かわせた。家康も感知し

秀吉本体に気づかれないよう、家康勢の主力も八日夕暮れに小牧山を出発して池田勢の後を追った。

これが長久手の戦いとなり、追撃の家康勢に敗れた池田信輝は討死する。


私見・登城日2004・09・20  作成日2004・10・02  編集日2006・04・29

岩村城から郡上八幡城に行く途中に寄ったが資料では山の上まで車で行けるはずが、小牧山を二週

まわって見たが行けそうではない。市営駐車場に車を停め、登城開始。

思ったほど坂道はきつくなく、散歩する程度の感覚で頂上の天守まで上がれた。天守内は資料館に

なっていて、小牧山の過去・現在・未来のテーマで資料が展示されていた。

小牧山麓の市営駐車場は2時間は無料でした  入城料 100円

て・さ・み

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