吉田城
≪今橋城≫
愛知県豊橋市今橋町
永正二年(1505)
牧野古白
085
豊橋城は、この辺りが室町時代には今橋と称され、入道ヶ淵
に牧野古白が永正二年(1505)に城を創築した。
そののち、近隣の豪族との抗争を繰り返し、天文十五年
(1546)になって今川義元が城を奪い城代を置いた。
義元が桶狭間で戦死すると、徳川家康が豊橋城を取り、
酒井忠次を入れた。
天正十八年(1590)家康が関東に入ると、池田輝政が
十五万石で入封し、城の大改築をはじめたが、姫路に
移封になったため、工事は未完成に終り、代わって入った
竹谷氏は三万石の石高だったため、輝政が縄張りした
大城郭の計画は実現しなかった。
のち、深溝・水野・小笠原・久世・牧野・大河内氏と代わり
大河内氏が七万石を世襲して明治に至った。
明治初年に建物は破却された。
鉄櫓
遺構の発掘現場
私見・登城日2004・03・20 作成日2004・04・16 編集日2006・05・03
駿府城をめざして行く途中、ナビに豊橋城が映し出されれ、急遽登城体制を取る。
あさ6時駐車場は、まだ空いていないので近くの駐在所の駐車場に停めさしてもらう
鉄櫓に向かっていく途中、発掘現場を見つけ思わずシャッターを切る。
その奥が本丸で、本丸の左奥に鉄
櫓が見える。石塁が見事に残っていて
川からの高石垣は見応えがある。虎口も確認でき、隅櫓台で城碑を確認し
慌てて車に戻り、駿府城目指してアクセルを踏む。