日本城巡り

名古屋城

≪金鯱城≫

1968年

004

慶長十五年(1610)
   徳川家康

愛知県名古屋市中区本丸


犬山城 長篠城 岡崎城
清洲城 名古屋城 大高城
野田城 小牧山城 吉田城

名古屋城は古く那古野とよばれ、室町時代には

足利幕府管領、斯波氏の領地であった。

応仁の乱で斯波氏の勢力が衰えると、駿河守護の

今川義元がこの地に侵入し、今の名古屋城

二の丸に『柳丸』を築いて、弟の今川氏豊を城主とした。

すなわち名古屋城の前身ともいわれる。

柳丸は、のち織田信秀に奪われ、信秀はその子、信長を

城主として那古野城と称した。

天文二年(1553)信長が清洲城に移ると、しばらくは

番城、のち廃城となった。

慶長十二年(1607)徳川家康はその子、義直を清洲城に

四十二万石で入封させたが、清洲が城地が狭く、河川の

行流からして水攻めに弱い城として、新しく那古野を城地

選び、慶長十四年から西国の大名二十諸候に助役を命じ

築城工事を始めた。

廃城となっていた那古野城の少し西に、東西百八十二メー

トルのほぼ正方形の本丸を置き、その外側に空堀の内掘

を巡らせ、その東西に二の丸【旧那古野城跡】西北に

御深井丸、その南に三の丸があった。


私見・登城日1999・03・21  作成日1999・04・09  編集日2006・04・30

岐阜城から最終の名古屋城に来たが、小雨がパラツイテきたので、\500円の傘を買い登城した。

駐車場から20分ほどの砂利道を歩き、天守に上がった。

天守内は資料館になっていて、刀・甲冑など見とれてしまう展示品に、しばし足が止まる。

1時間ほどの天守内での楽しい資料を見て、あとは、大阪に向かってアクセルを踏む。

入城料・500円

復興天守

て・さ

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