日本城巡り

岡崎城

≪龍城≫

復興天守

昭和三十四年(1959)

愛知県岡崎市康成町

康正元年(1455)
  西郷稠頼


079

入城料200円

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岡崎城は昭和三十四年に復興された天守があり、

徳川家康の像、家康の産湯の井戸などがある。

岡崎城は康正元年(1455)三河守護代・西郷稠頼が

築き以降西郷氏が居城していた。

清康の子、広忠が天文十八年(1549)に亡くなると

今川義元の城代が入り支配した。

松平『徳川』家康は天文十一年十二月二十六日、

この城で生まれたが幼時父広忠を失い、今川の人質と

なり駿府に居た。永禄三年(1560)今川義元が戦死すると

岡崎城に帰り、のち織田信長と同盟して勢力を伸ばした。

元亀元年(1570)岡崎城を長子信康に与え、浜松に移った。

信康の死後は岡崎城に城代を置いた。

家康が関東に移ると田中吉政が五万七千石『のち十万石』

で入封した。そののちは城番・城代をへて本多・水野・

松井・本多と城主が代わり、本多氏五万石で明治に至った。


私見・登城日2003・11・24  作成日2003・12・15  編集日2006・05・03  て・よ
私見・登城日2004・03・21  作成日2004・04・17  編集日2006・05・03
  て・さ

岡崎城は昨年の11月24日に続いて2度目の登城。配置はある程度わかっているが時間的には余裕が無く、

あわただしい登城となった。まずは天守から、2人分の入城料、400円を払い天守に入ると、説明の方が

『どちらから来られましたか』っと言われ、『大阪です』と答えると、大阪の名所・観光地の説明を説明まで

して頂きました。天守内は史料館になっていて、見ごたえがあった。その後、外に出て満開の桜の下の石垣

堀・井戸を確認して桶狭間の合戦場に急行した

2003・11・24の登城の時の天守の写真

二度目の登城の時の家康像

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