日本城巡り

大高城

名古屋市緑区大高町城山

永正年間(1504〜21)
   花井備中守

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大高城の本丸跡

大高城大手口跡の城碑

永正年間に花井備中守が居城し、天文・弘治年間(1532〜58)には

水の忠氏父子が居城した。東西百四メートル・南北三十二メートル

四方に二重の堀を巡らした厳重な構えであった。永禄二年(1559)

織田方の鳴海城城主山口左馬助教継が、天下を望んで上洛の軍を

進めると今川義元に荷担して大高城を攻略したので、織田信長は鷲津砦

および丸根砦を築き、大高城と今川勢との連絡を絶とうと計画した。

当時、今川方の先鋒をつとめた松平元康『徳川家康』は、義元の命令に

より、敵中を突破して大高城へ食糧を運びこむのに成功した。

これが有名な大高の食糧入れである。

同三年の桶狭間の戦いの後に廃城となったが、元和二年(1616)尾張藩

の老臣で一万石を領する志水氏が城址に館を設けた。

本丸中央に大高城址の碑があり、城址には、丸根砦・鷲津砦を含めた

国指定の史跡となっている。


私見・登城日2004・03・21  作成日2004・04・03  編集日2006・05・03

今回は、一泊二日の日程で静岡県と愛知県を登城して来た。最終の大高城に行く途中、丸根砦・鷲津砦も

行きたかったが、どんなに考えても無理
。次の登城の時に行くとして、最終の大高城に向かう。

5時半を過ぎ、辺りが薄暗くなり始めた。氷上姉子神社の宮司さんに、お願いして車を停めさせてもらい

痴走
。いつもの、大手口からの登城開始。遺構はあまり残っていないようだが、案内板・城碑・堀址・

大手道が確認でき意気揚々と退城した。車に戻って移動する時は、ヘッドライトを点灯しないと

前が見えないほど暗くなっていた。20日の夜中の0時半に自宅を出発。20日は静岡県・21日は愛知県と 

2日間で14城登城し、菊川坂石畳・遲ヶ崖・桶狭間の合戦場と

付録も付いてきた。名神自動車道に入り、次の登城は何処にしようか考えながらアクセルを踏む。

て・さ

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