清洲城
愛知県西春日井郡清洲町
模擬天守
002
応永十二年(1405)
斯波義重
平成元年(1989)
入城料¥300
室町幕府の管領、尾張守護職斯波義重が五条川の左岸に
縄張したのが最初という。そもそも『キヨス』の地名は、
伊勢神宮の『清須御厨』から起こったようで、清浄な砂地の
意味をもっていたらしい。
守護が斯波氏になった十五世紀初め、相次ぐ戦乱に備え
清洲城もその一つとして築かれた。
そして戦略的見地から、ついに守護所もここへ移ったのである。
十五世紀末期のことらしい。
清洲には守護代として織田氏が入り、十六世紀になると
織田家は尾張支配の実権をにぎるようになった。
織田氏の出自は不分明なところが多いが、越前織田荘の荘菅で地名を氏としたようである。
斯波氏は越前・尾張などの守護であったから、その守護代として尾張へ派遣されたのが
最初だろう。
尾張守護所が下津城から清洲城に移った時、守護代として活躍したのは織田大和守敏定で
文明十年(1478)前後という。
その後、信長の父織田信秀が頭角を現し尾張の統一を進めた。
信秀の死後は那古野城を根拠に勢力を固め、弘治元年(1555)清洲の織田信友を謀殺して
城を手に入れたのである。
私見登城日1999・03・21 作成日1999・03・29 編集日2006・04・15
小雨の中、駐車場は空いるので天守に一番近いところに停め、小走りで天守に駆け込む。
城内は近代的、多目的に造られ、いろいろな活動に使用されるように造られていた。
天守最上階からの展望は素晴らしいものだが、JR東海道本線と新幹線が本丸を二分に
割き、天守から眺めると寂しさがこみ上げてくる。これも時代の流れと言い聞かせ
次の岐阜城に向かう。
て・さ