日本城巡り

丸岡城

≪霞城≫

現存天守

福井県坂井郡丸岡町

天正四年(1576)
築城者・柴田勝豊

006
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天正三年(1575)織田信長により越前の領主に封ぜられた

柴田勝家が、本城・北ノ庄城に対する北方の支城として甥の

柴田勝豊に築かせたものである。城が完成すると勝豊は、

四万五千石の封領で入城した。

天正十年、勝豊は近江長浜に移り、勝豊の臣・守井家清が

丸岡城代になった。

翌年、天正十一年柴田勝家が豊臣秀吉と戦って賎ヶ岳で

敗れると、さらに北ノ庄城を攻められ滅亡した。

のち丹羽長秀が北ノ庄城に入り、丸岡にはその臣・青山宗勝

が四万六千石で入城した。

そののち結城秀康の支城で城番・今村盛次、次いで

本多成重が四万六千石、元禄八年(1695)有馬清純が

五万石で入封すると世襲して明治に至った。

丸岡城天守一階の柱と階段

本多重次の≪一筆啓上…≫の碑


私見・登城日2000・04・23  作成日2000・05・06  編集日2006・05・21

今回2度目の登城となる。一度目は、4時50分に着き、天守に上がれず泣く泣く帰ったので、

今回はその分、隅々まで観察してみた。やっぱり現存天守は歴史を感じるところが多い。

天守に入るなり、感動・感動で時間のたつのを忘れて見とれていた。柱一本を見ても

梁との繋ぎ、その時代の技術を最大限に活かした城という建物を現在の進んだ技術が

解明できないところがあるのはなぜなのか?。  すごい

私見・登城日2005・03・20  作成日2005・04・17  編集日2006・05・21

本日の本命の城、丸岡城に来た。三度目だが、現存天守は何度訪れても、何か発見がある。

今回は、本多作左衛門重次が陣中から妻にあてた≪一筆啓上・火の用心・お仙泣かすな・馬肥やせ≫

の碑を確認する。その碑は天守の右前に堂々と建っていた。碑の前で記念写真を撮り、天守に上がる。

一階・二階・三階と今回もフイルム一本ではすまなかった。帰ってからの写真の整理が大変だ

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