戌山城
福井県大野市犬山
築城者・斯波義種
南北朝時代〜室町時代
129
山城・標高324m
戌山城は、大野盆地の西端、標高324.6mの犬山の尾根上に
構築された山城である。この地は、福井方面から美濃街道を
経て大野盆地に入ったすぐ右手に位置しており、大野盆地に
通じる交通の要所を押さえている。現在は大野市の西郊外と
して、清滝神社・洞雲寺などがその当時の面影を伝えている
のみである。《城跡考》によれば≪足利尾張守三男・斯波伊
予守義種・大野左衛門佐満種・大野修理大夫義鏡・斯波家臣
千福中務大輔・朝倉下野守経景・朝倉与三衛門景職・
朝倉孫八郎尹景・金森五郎八郎長近》等の居城と伝えている。
以後、朝倉孫八郎尹景の子、景鏡が亥山城に居城を移すまで
大野郡の主城とした存続したものと思われる。朝倉氏滅亡後は
一時金森長近がこの城に居城を構えたが、それも至近の
亀山の地の大野城を築城すること によって、廃城となった。
戌山城の堀切
戌山城の由来書
私見・登城日2005・03・20 晴れ 作成日2005・04・20 編集日2006・05・22
朝4時30分に家を出発、大野城を目ざす。8時前に大野城の麓駐車場に到着。途中、近くに戌山城があるのを
確認したので、戌山城を先に行くことにした、国道158号線を横切り、ナビを頼りに進む。道に雪が積もり前に
進めないので、断念して国道まで引き返す。が、なっなっなんと!!、その道に平行して除雪した道があるで
わないかい。な〜て言うことない、快適に戌山城にむかって進む♪♪。おっ!。戌山城の看板。でも登城道
がわからない?、脇道に入ったが雪でとうてい入れそうも無いので引き返す。そこに犬を散歩している人に
聞くと??、最初に見た看板のところが登城道だとのこと!!。早速引き返し、説明版の前で記念写真を撮り、
1人で登城開始。曲輪・堀切などを確認したので下山して、慌て大野城に引き返す。