北ノ庄城
福井県福井市中央1丁目
天正三年(1575)
柴田勝家
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天正11年(1583)、勝家は賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に
敗れ北庄に敗走、城に火を放って自刃した。妻お市は
脱出を拒み、娘の茶々・お初・お江与を逃がし、勝家と
ともに果てた。北庄には朝倉氏の一族が居館を構えて
いたが、朝倉氏滅亡ののち、天正3年(1575)に勝家が
封じられて築城を開始した。落城はわずか8年後のこと
であった。1575年の秀吉の書簡には、9層の天守が
築かれていたことが記されており、織田信長の安土城
の2倍もあるというルイス・フロイスの記録からも、
当時最大級の城の存在がうかがえる。
私見・登城日2005・03・20 曇り 作成日2005・04・16 編集日2006・05・23
福井城を見終え、北の庄城行くが位置がわからず?、福井城内の福井県警で聞く。北の庄城は、
柴田神社になっている。車で送りましょうか?と言われたが、歩いて行きますからと丁寧にお断りを
して歩き出したが、わからない道の20分はかなり遠いように思えた!。着いて一番先に目に飛び込
んできたのは、九十九橋で、橋のたもとから左に目をやると、柴田勝家像が、迫力ある顔で、槍を
手にこちらを睨みつけていた。その手前に、当時の石垣が発堀され、当時の面影が偲ばれる。資
料館は、ガラス張りになっていて、○○ちゃんは自動引きドアが気に入ったようで、何回も開け閉め
をしていた。資料館内のベンチに座ったままで城跡を見渡せるようになっていて、資料館では北庄
城の石瓦・船橋の鉄鎖など、勝家ゆかりの品が保管されていた。来てよかった!。
柴田勝家像
九十九橋
て・さ・み
入城料ー無料 駐車場ー無し
お市の方像