日本城巡り

合戦

松代城


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長野県長野市松代町

≪海津城≫

永禄年間
武田信玄

055
171

永禄年間(1560)にはほぼ完成したらしい。

信玄は、信州に幾つもの城を築いていたが、元々城が


なかったのはこの海津城だけで、甲州流築城術を代表

すると見られている。『甲陽軍艦』は、山本勘助に命じて

築かせた、と記しているが、年代などに疑問がある。

武田氏滅亡後、織田信長の武将・森長可が城主に

なったが、本能寺の変後は、ながく上杉景勝が支配した。

その後、豊臣秀吉をへて徳川家康が支配するようになると、

慶長五年(1600)家康は、森長可の弟・忠政を入れた。

上杉景勝の工作を警戒した人事であろう。

森忠政は城を修築したといわれ、海津城を侍城と改名した。

しかし、土居を石垣に変えた程度で、規模は信玄の築城と

ほとんど同じらしい。

なお、森忠政は、川中島四郡十三万七千石の領地に、

残酷な総検地を行い、農民の恨をかったことでしられている。

関が原合戦が終わると、同八年、家康の六男・松平忠輝の領地になり、さらに松城と名を改めた。

その後、城主は転々と変わったが、元和八年(1622)、上田から真田信之が入って落ち着き、

以後明治維新まで、真田十万石の居城となった。信州唯一の大藩である。

なお、松代城と名が変わったのは、正徳元年(1711)真田幸道のときからである。


2003年登城の大手門

2006年登城の大手門

私見・登城日2003・06・08  作成日2003・06・24  編集日2006・05・20  て・さ  

上田城から松代城に来たが、様子が……。人影が無い。  そう言ったら、雑誌に2004年4月迄

工事中!。とかいてあった事を思い出した。大手門前に、車止めとフェンスが張ってあり、城内には

入れそうも無い。他府県ナンバーの車の人も悔しそうに大手門前で並んで見ていた。

城郭全景の写真・ビデオを撮り、真田宝物館に行き、資料の確認をして、次の城に行く。

私見・登城日2006・04・02  作成日2006・05・20  編集日2006・05・20  て・さ  

前回は、工事中のため城内に入れなかったが、今回は入れそうである。

大手門前の大きな駐車場に車を停め、大手門より城内に入る。城内は、公園となっているので

入城料は無料であった。天守台から大手門・搦め手門など写真を撮り、ビデオに納めた。

城内から搦め手門

天守台

駐車場ー50台余り 無料   入城料ー無料

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