日本城巡り

合戦

寺尾城

松本城 犬甘城 寺尾城
上田城 上の山城
松代城 小諸城
井川城 龍岡城

長野県長野市松代町寺尾



≪車城≫

私見・登城日2006・04・02  作成日2006・05・20  編集日2006・05・20  て・さ  

松代城から、川中島の合戦場に向かっている途中、山本勘助の墓の少し松代城よりに見つけた城跡。

上り始めは、急な石段が約百段前後あり、上りきった所に、お堂がある。

そのお堂から先は自然石の岩道が果てしな
続く……続く……続く!

上り始めてから40分、頂上の方を見るが、まだ見えてこない?。少しあきらめの考えが頭をかすめる。 

が、考えを新たに先を
急ぐ!急ぐ!ぁ…

海津城に最も近い南側の支城が竹山城とすれば、最も近い

北側の支城が寺尾城である。距離としては約2qである。

城のある山は北から南西に1qほど延びる尾根の中央部の

若干高いピークに本郭を置き、城域の長さは400m程度にわたる。

本郭部の標高は450m、比高は100mである。城の東側には

低地を隔て雨飾城が聳えたち、北側には金井山城が迫る。 

城はこの地の土豪 寺尾氏が築いたといわれる。寺尾氏はすでに

建久元年(1190)源頼朝に従って上洛した中に寺尾太郎、寺尾三郎

・太郎の名が吾妻鏡に見える。戦国期は村上氏の被官であったが、

天文十八年(1550)武田氏の命を受けた真田幸隆にそそのかされて、

村上氏に背き攻撃を受けたことがある。これを契機に武田氏は

戸石城を攻撃する訳であるが、寺尾氏が村上氏と和睦したため、      

武田氏は村上氏の反撃を受けて戸石崩れという大敗を喫する。

武田氏が川中島地方を制圧すると武田氏に属するが、

武田氏滅亡後は上杉氏に従い、会津転封に同行しこの地を去った。

寺尾城の登り口

お堂から城跡迄の道

建久元年(1190)
築城者・寺尾太郎

無念

172

駐車場 無し  入場料 無料

inserted by FC2 system