日本城巡り

合戦

上田城


松本城 犬甘城 寺尾城
上田城 上の山城
松代城 小諸城
井川城 龍岡城

≪尼ヶ淵城≫

長野県上田市上田

天正11年(1583)
築城者・真田昌幸

戦国時代に入ると、真田幸隆が、武田信玄から周辺の

土地を与えられたが、約三十年後の天正十一年(1583)に

その子、昌幸がここに上田城を築いた。

本丸・二の丸・三の丸からなる、かなりの規模の城郭だった

ように思われるが、詳細は不明である。

小豪族の真田氏は、武田・上杉・北条・徳川など有力な戦国

大名にはさまれて苦労し、武田氏に従ったり、上杉氏と和睦

したりしたが、その間に、兵をきたえ、戦術に巧みになった。

さって、上田城完成直後の天正十三年(1585)、真田昌幸は、

手を結んで間もない徳川家康と衝突した。

真田氏が北条氏と戦って苦労して手に入れた上洲沼田地方を

信州佐久地方と交換に北条氏へ返せ、と家康が要求したから

である。昌幸はハッキリ拒否した。

家康は激怒し、ただちに、鳥居元忠・大久保忠世らに七千の

軍勢を与えて、信州へ出撃させた。迎え撃つ真田勢は、約三千。徳川勢は、何ほどの事やあらんーと、

上田城の東方から神川を渡って攻め寄せ、城外に備えていた真田勢が退くと、門をとざす暇うをあたえず

城内に押し入った。ところが、勢いにのって二の丸へ突入しようとしたとしたところ、頭上から大きな丸太が

ドドッと落ちてきた上、雨あられのように弾丸や矢を浴びせられた。驚いて引こうにも、狭いところで混乱する

ばかり。そこを真田勢が逆襲したから、徳川勢はあわてて逃げ出した。

東虎口櫓門

尼ヶ淵駐車場から『左』西櫓『右』南櫓


054

現存櫓・南櫓・西櫓

1622年

私見・登城日2003・06・08  作成日2003・06・23  編集日2006・05・20

気温32度。真夏日の中、上田城・駐車場に到着。暑いが、車中が蒸し風呂になるが覚悟を決め、窓を閉める。

東虎口櫓門からの登城開始。門の右の石垣に組み込まれた真田石を確認し、門をくぐる。南櫓に入るなり

突然、ボランティアの方の申し出を受ける。ビックリしたが南櫓又城内の説明をして頂きました。やはり、

説明を受け見て行くと分かりやすく、把握できた。約1時間の上田城探訪が終わり、松本城に挑む

私見・登城日2006・04・02  作成日2006・05・20  編集日2006・05・20

今回の登城は、上田城に尼ヶ淵に出る抜け穴の井戸あるらしい

との事で、その確認のための登城となった。二度目の登城だが、

尼ヶ淵駐車場からの上田城は前回の時と又違う城に見える


尼ヶ淵から堀跡を通って土塁を駆け上り東虎口櫓門から登城したが、

今回は南櫓に寄らず、 そのまま直進し神社境内にある井戸に直行

抜け穴の井戸

駐車場 無料    入城料 250円

て・さ

て・さ

再訪

inserted by FC2 system