坂本城
滋賀県大津市坂本
元亀2年(1571)9月、織田信長は比叡山を焼き討ちにしたあと、明智光秀に滋賀郡の支配を命じて
湖岸に城を築かせた。その位置とは下坂本で、1年余りをかけ竣工した。水陸交通の要衝を占めた
坂本城の任務とは、比叡山延暦寺の監視と西近江の警戒をも兼ねていた。ところで、坂本城について
明らかにされていないのが、当時の宣教師ルイ・フロイスが書いた『日本史』から、豪壮さは安土城に
次ぐものであったことがわかる。ちなみに、安土城の着工は、天正4年(1574)だから、その築城について
坂本城は暗示を得たとつたえられる。琵琶湖岸に建てられた坂本城は、いわゆる水城形式をもっていた
が、この技巧は、のちの大津城・膳所城にも生かされた。同7年、光秀は丹波を征服したが、翌8年には
亀山《現亀岡》城主となり坂本・亀岡両城をもった。同10月6日、亀山城を出陣した光秀は、信長を
京都本能寺・嫡男信忠を二条御所に襲って自殺させた。
私見・登城日2004・07・19 作成日2004・07・24 編集日2006・02・04日
朽木城から壷笠城に行く途中に寄った。国道161号線の下坂本に標準を定め、ナビを頼りに進む。
国道161沿いに建つ、大きな坂本城碑が飛び込んでくる。無料駐車場完備であるが、夏は避けたい
海水浴の車で停めることができないほど多くの海水浴客の車で駐車場から車がはみ出していた。
明智光秀像があったが、今ひとつ、しっくりこない感じがしたが……。水着姿の人が周りに沢山
いるので、周囲に気をつけながらシャッターチャンスをうかがう。この石垣の写真を撮るのに20分の
時間をかけ、あとは穴太町を散策しながら、壷笠城に向かう。
坂本城碑
坂本城の石垣跡
明智光秀像
108