長浜城
滋賀県長浜市公園町
天正三年(1575)
今浜城
平城《水城》
016
長浜城の前身は、建武三年『延元元年・1336)近江源氏の一族、佐々木高氏が琵琶湖畔の今浜に館を
構えたのが始まりといわている。天正元年(1573)、近江の浅井長政が織田信長に滅ぼされると、その
居城の小谷城には秀吉が入ったが、山が高峻すぎるため、天正三年(1575)になって今浜の佐々木氏の
旧城跡に新しく縄張をして城を築いた。この時今浜から信長の長を付けて長浜に改めた。城は旧城地を
利用し湖岸に盛土をして本丸を構え、他に数郭を造り、湖を利用したやや水城風のものであったと伝えら
れる。本能寺の変ののち秀吉は山崎・大坂と移り、長浜には柴田勝豊・山内一豊・内藤信成らが入ったが
元和元年(1615)廃城となった。一説には大坂落城前に廃され、石才・木材を彦根城構築のために運んだ
ともいわれる。
編集日2006・01・14
模擬天守
1983
長浜城に行くには、大手道にあたる豊公園を通り石段を上がっての登城となる。また、搦め手にあたる
太閤井戸がある公園は、寂しい感じの公園である。が、11月23日に行った時は湖畔に鵜の多いこと
そういえば、竹生島も鵜の糞害で島の半分の樹木が枯れてしまったという記事を見たことがある。
今回は太閤井戸の写真を撮り、早々に引き上げた。
作成日2005・12・11
2005・11・23
私見・登城日2001・08・18
作成日2001・08・29
編集日2006・01・14
太閤井戸
長浜城 天守