中野城
滋賀県蒲生郡日野町音羽
築城者・蒲生定秀
≪日野城≫
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蒲生定秀の築城と伝えられ、通称日野城と称された。定秀の子賢秀の世の永禄十一年(1568)
織田信長が近江に進入したとき、賢秀は勇敢に抗戦をしたが、一族の神戸氏の説得で信長に
降り、子息を人質に出した。これが後年の勇将氏郷である。天正十年(1582)本能寺の変に
さいして、賢秀父子は信長の妻子を中野城にかくまい、明智光秀の誘いを退けた。のち氏郷は
羽柴秀吉に従軍して手柄をたて、同十二年には伊勢松坂十二万石に封ぜられた。以後の
中野城には、田中吉政や長束正家が入ったが、慶長八年(1603)廃城となった。
私見・登城日2005・11・23 作成日2006・02・05 編集日2006・02・05
小谷城から帰りに寄ったが、とりあえず、日野町まで分かっているので、日野町に向けて進む。が、
日野町は広く、城の表示板が見当たらない。バスの終点所でバスの運転手さんに聞く。それは、
来た道を戻ること7kmほどに日野川ダムの表示板があるから、その道を左折して突き当りを左折
して、400m位行った右にありますと教えて頂いた。時間が時間だけに来た道を戻ること10分
あったかなぁ〜。二人とも見落としていたようで、日野川ダムの下に中野城の表示板を発見!。
早く行かないと日が沈んで写真が撮れない。ここも無料の駐車場完備で30台は停めれそう。
城跡は思っていたよりも石垣が残っていて、感動した。堀に浮かぶ夕日をカメラ・ビデオに収め
今日一日3城を巡り、日野城を出て車に乗るときはライトがいるぐらい暗くなっていた。
堀跡に夕日が浮ぶ
中野城の由来
本丸跡
天守台
て・よ