観音寺城
滋賀県蒲生郡安土町石寺
応仁・文明年間 六角氏
山城 433m
№038
観音寺城は標高三百三十三メートルの繖山は、俗に観音寺山と称された。山頂から南側の
山腹にかけて築かれた観音寺城の規模は大きく、わが国屈指という。近江国六角氏の居城
であったが、その位置は、近江の?倉地帯ある広大な湖東平野を睥睨し、しかも軍事・政治的
に重要な中山道を監視するところにあった。また、西方には、琵琶湖の内湖を控えるという、
まさに理想的な要所に位置していた。
永禄元年(1558)の翌年、十一月、足利義昭を奉じて上洛の途についた織田信長の動きを、
義賢・義弼父子は、観音寺城に拠って阻止しようと計った。だが、観音寺山の南にあった支城
箕作城が九月落城するに及び、義賢・義弼父子は、城を捨てて甲賀へ走った。以後廃城となった。
私見・登城日2002・11・03 作成日2002・11・29 編集日2006・02・05
西国巡りで観音正寺にきたので、一人で観音寺城に行く。観音正寺の石垣を右手に進むと
突き当たりになる。突き当りを左折して幾重にも道がわかれる。帰り道がわかるかしら?、と
思いながら進むと20分ほどで城郭に着く。この道は巡礼道と書いてあるが人は見かけなない。
石垣は崩れ、本丸でビデオ・カメラと撮ったが、あまり永く居ている処で無いように思い、早々に
引き上げた!。帰り道に右下を見ると、苔で緑化した石段が見えたが、もう一度行きたい城だ。
本丸
巡礼道沿いの石垣
本丸の石垣
観音寺城の由来