八幡城
滋賀県近江八幡市宮内町
天正十三年(1585) 城主 豊臣秀次
天正十三年(1585)閏八月。ときに、十八歳の青年大名だった。築城にあたって秀次は
蒲生・神崎・野洲一円から大勢の人夫を動員したという。こうして築かれた八幡城は
東西に内湖をもち、さらには、南にかけ平野がひろがっていた。戦略的要衝であったのは
いうまでもない。築城とともに秀次は、城下町の育成に情熱をそそいでいる。なお、
城の内掘には、琵琶湖から水をひいた八幡掘をめぐらした。したがって、八幡掘りは
単なる城の堀でなく、琵琶湖に通ずる堀として、商業上の発展を計算にいれてのことは
明白だ。のち天正十八年、秀次は百万石の大守として尾張清洲城に封じられたあと、
八幡城には、京極高次が二万八千石で入封したが、文禄四年(1595)某月、大津城へ
移封になった。その年の七月、秀次は秀吉のため高野山に追われ、自害させられている。
私見・登城日2003・09・13 作成日2004・02・15 編集日2006・01・29
八幡城に来て、観光客の多さにビックリ。八幡堀を過ぎて、ロープウェィまでの間が無料駐車場。
安土城から来たので午前10時を過ぎた時間帯は、観光客が溢れ返っている。なんとか駐車所に
車を停め、観光案内所に行き、資料を集める。案内所で秀次の本と城下町のマップを買い
ロープウェィ乗り場に行くが、15分に一度で出た後なので、そばの売店で丁稚ようかんと赤コンニャク
を買い込む。ロープウェィに乗ると、ガイドつきで約10分で八幡山頂に着く。コースが矢印で案内され
二の丸・三の丸〜端龍寺までの石垣はなんとも言えない味がある。秀次が400年前に三の丸から
広大な城下町を見下ろしての生活を思い浮かべられる。
端龍寺
八幡堀
登城日:2009年8月23日 編集日:2009年8月29日
朝9十過ぎに八幡堀近くの駐車場に着きましたが、駐車場は満車です!おっ!一台分のスペースがありました!ラッキー!!。
城下町・八幡堀を散策した後水郷巡りを楽しみ、いよいよ(標高286m)の八幡山城にロープウェィで上がります。
出丸跡・西の丸・北の丸と周りましたが、西の丸は遠くに長命寺が!、北の丸では安土城が眼下に確認できました。
各曲輪からの眺めは、すばらしい〜(*'v`)σ!。
八幡堀
長命寺
安土城
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