野尻坂砦
滋賀県高島郡朽木村野尻
築城者・朽木稙綱
山城・標高260m
野尻坂砦は、朽木陣屋の東の出城として設けられた。享録元年(1528)、室町幕府十二代将軍
足利義晴が三好・松永の乱で都をさけ、管領細川高国を従えて、朽木稙綱を頼って朽木村岩神の
地に動座した時、淡路の足利義栄を奉じた細川晴元の軍勢が朽木谷に攻め入ってきた。
朽木稙綱は、安雲川下流から朽木谷に入る晴元軍を野尻坂峠で迎え撃ち晴元軍を撃退したという。
野尻坂は、都から北陸にぬける一間道であって、西山城の南東にあり、そばに金毘羅宮を祀り、
峠の東方には安雲川が見下ろせて、天然の要害となっている。峠の西側に約50m『幅1m』の長さに
わたって塁濠らしきものがのこっていて、最近まで、その掘上にはこぶし大の河原石が数多く散見
されたが、現今では、見あたらなくなった。
私見・登城日2004・07・19
編集日2006・01・14
朽木陣屋に登城して、後、周辺散策している時に見つけた砦である。
途中まで上がって行ったが、バイパス道から200mほどのところに
高さ7mほどの大きな燈籠を見つけた。その奥に200uほどの広場を
確認した。その右に30度はあるキツイ勾配の坂道があったが、
その道が野尻峠で金毘羅宮に行く道である。北陸にぬける道という
ことは、織田信長が逃げ帰った道だろうか?。
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作成日2004・07・31