水口城
滋賀県甲賀郡水口町本丸水口城内
築城者 徳川家光
平城
018
関が原の戦いでは城主 長束正家が、西軍についたため除封。だが寛永九年(1632)
三代将軍家光が、茶人であり築城家の第一人者小堀遠州に命じて、東海道の要衝、
水口に城を築かせた。天和二年(1682)加藤明友の入封を機に、水口藩が興された。
城下は水口宿として賑わい、葛籠・きせる・笠などの産地として栄えた。呉服町・葛籠町
米屋町・塗師町等の地名が、自治組織のなかに残っている。
なお、加藤明友は賤ヶ嶽七本槍で聞こえた加藤義明の孫で本城の別名『碧水城》の命名。
私見・登城日2001・08・18 作成日2001・09・14 編集日2006・02・05
小谷城から水口城に行くことになったが、国道8号線が渋滞で進まない。
ナビを見ながら裏道を探す。何とか10分前に着いた。路上駐車で、全速力で
水口城にむかう!。5分前で入城料を払う!。入れた!。ホッ!!。
係りの方が『ゆっくりと見てくださいね』と雨戸を閉めながら言ってくれたが
室内は照明が点いていないため、泣く泣く退城した。