小谷城
東浅井郡湖北町伊部
永正十三年(1516)
浅井亮政
017
標高299m
永禄十一年(1568)、信長は足利義昭を奉じて入洛すべく、みずから大軍を率いて岐阜をたったが、
九月八日には早くも近江高宮『彦根市』に着陣、ここで長政の軍勢と合流している。
ところが、元亀元年(1570)ごろから、信長と将軍義昭の間に亀裂が生じるようになった。
その隙間につけこんだのが朝倉義景で、義昭と結んで反信長の拳にでたのである。
これを攻める信長は、若狭に入り、破竹の進撃で越前をうかがった。だが、ここにきて、突然浅井長政が
義景に寝返ったのだ。かっての浅井氏は、たびたび朝倉氏の援助をうけた恩義があるため、それを攻める
信長には同調できかねたのである。長政に退路を絶たれることを恐れた信長は、文字通り、脱兎のように
朽木越えで京都に舞い戻った。
私見・登城日2001・08・18 作成日2001・08・29 編集日2006・03・22
長浜城に登城して、ナビで付近の城を探してみると、小谷城が10kmほどでいけるもよう。
車でどこまで行けるかと坂道をアクセルを吹かし坂道をタイヤをきしませながら突き当りまで行く。
鉄パイプで車両進入禁止のガードをしてある所に車を停め、20分程歩いて本丸に着く。
正面に、崩れかかった天守台の写真を撮り、頂上を目指したかったが、どうも足が進まない。
今回は本丸までで、次回は頂上を目指すという事で引き上げた。
3年前と同じく、長浜城からこの小谷城にやって来たが、前回は誰にも会わず、駐車場と思って
停めていた所は、売店の前の道と確認。今回は駐車場に入りきれずにUターンして帰る
車がいるくらい大勢の人が城郭を目指して来ている。なんとか車を停め。本丸に到着。
今回は、紅葉が綺麗で、もうひとつ楽しみが味わえた。
帰ってから、滋賀県で城郭マラソンがあったと聞き、納得できた。
私見・登城日2005・11・23 作成日2005・11・27 編集日2006・03・22