合戦
鳥羽山城
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山城 標高180.3m
静岡県天竜市二俣
天正三年(1575)
築城者・徳川家康
二俣城とは二俣川を挟んで向き合う地点の鳥羽山に築かれた城である。北から南下して流れてきた天
竜川が大きくカ−ブするため三方を川によって囲まれ、南東部のみ峰続きとなり二ヶ所の堀切を構築
することによって防備を堅くした。徳川家康による二俣城攻めは、二回にわたって実行され、一回目は
天正元年六月に行われた。同年四月に武田信玄が没し、遠江の回復をめざした家康は各地の在地土豪を
攻略して支配地の拡大をはかり、武田氏の北遠江への要衝である二俣城奪還を本格化したのは当然
であった。二俣城の武田軍は六ヶ月の籠城に耐え、徳川軍の猛攻にも屈しなかったが、孤立無援と食糧
糧の欠乏から、ついに家康の勧告を受け入れ、十二月二十二日降伏開城し、城を退去していった。城の構造
は、南東部から尾根上を削平し、外郭・無名曲輪『櫓台?』二の丸・本丸・笹曲輪が一直線状に配置さ
れている。門跡の外に14mx13mの平場があり、両脇の石塁遺構は野面積みで石灰岩を使用しており
見事である。いずれにしても鳥羽山城は単なる陣城でなく、本格的城郭に発展したと推測される戦国期
の城郭である。
私見・登城日2004・03・21 作成日2004・04・05 編集日2006・05・27
二俣城から浜松城に行く途中に寄った。城の麓まで車で上がれる山城である。
城郭の石垣の石は小さな石を巧みに組合し、現在に残る素晴らしい石垣である。
本丸跡は更地になっていて、櫓跡からの展望は素晴らしいものがある。
搦手の石垣は近くの築城に使われたのか、剥ぎ取られたような所が数箇所
確認できた。帰り道は搦手口からの退城で現存する井戸を発見!。カメラに収めた。
次の目的地、浜松城に早く行かないと時間に遅れる。
駐車場 6台程 無料 入城料 無料
て・さ