合戦
駿府城
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静岡県静岡市追手町
駿府城は天正十三年(1585)徳川家康が築城し翌年入城したが城郭の完成は天正十七年であった。
それ以前、この地は延元元年(1336)駿河守護、今川範政が居館を築き居城していた。駿河の国府が
あったところなので駿府と称せられた。永禄三年(1560)今川義元が織田信長に桶狭間で討たれると
今川氏の勢力は衰え、永禄十一年には今川氏真が武田信玄の軍に追われ、駿府は武田氏の領となった。
天正十年になって徳川家康が武田氏を追い所領とした。天正十八年、家康は江戸に入ったが、
慶長十年(1605)には将軍職を秀忠にゆずり、駿府を隠居城と定め新しく築城工事を起した。すなわち
先に築城した駿府城の本丸・二の丸を修築・南・東・北に城地を拡張したのである。慶長十二年二月に
はじまった工事は、七月には七月には天守が完成、十月には全域がほぼ出来上がったが、
この年十二月に出火し、建造物が全焼した。翌年工事を再開し、五層七階の天守はじめ、
御殿・櫓・城門などが慶長十六年完成した。城は本丸・二の丸・三の丸を同心円状方形に重ねた
約四十万平方メ−トルの大きさであった。天守は寛永二年(1625)焼失、再建されなかった。
天正年間(1573〜92)
築城者・徳川家康
≪府中城≫
私見・登城日2003・11・24 作成日2004・02・27 編集日2006・05・27
朝5時に来たが、暗くて見えないので、食事をしてから再度の登城となった。丁度良い季節に来た。
家康、手植えのみかんの木に鈴生りの小みかんを見ることができた。
今日は、1城でも多く城を見ながら大阪に帰る。
徳川家康像
東御門櫓門
私見・登城日2004・03・20 作成日2004・04・17 編集日2006・05・27
吉田城から2時間かけて駿府城にたどり着く。今日から一泊2日の静岡県〜愛知県の城巡りで
幾つの城に上がれるか楽しみだ。駿府城から大阪に戻りながら城を求めてさまよい旅行。
途中吉田城に寄ってきたが、駿府城は半年前に一度来ているので雰囲気はわかっている。
城内の本丸堀・櫓跡などを見てまわり、9時前になったので巽櫓に入って家康の気分で楽しむ。
駐車場 市指定の路上駐車 1時間200円市役所前 入城料 200円