大坂城
大阪市中央区大阪城1番
復興天守
1931
天正十一年(1583) 羽柴秀吉
046
現在の天守は、大坂夏の陣図屏風に描かれた外観を豊臣秀吉のシンボルとして、また大阪の
象徴として、昭和六年(1931)に鉄筋コンクリートで再建したものである。
現在残る、大阪城の石垣や水堀、現存の建造物もすべて徳川時代のものであり、秀吉時代の
大坂城は地下に埋もれ、その実態はほとんど明らかにされていない。
元亀元年(1570)信長と本願寺との間に合戦が起きた。のちにいう石山合戦で、勃発して以後
十一年も続いた。同八年、本願寺十一世顕如は、信長と和議を結んで本願寺を明け渡すこと
となり、顕如を紀州に追いやった信長は念願の上町台地を手中にした。
その信長は本能寺の変で倒れ、天正十一年(1583)秀吉が大坂築城に取りかかった。
このような大坂城も慶長三年(1598)秀吉が没すると、秀吉が半生を賭けて築いた大坂城も
大坂夏の陣で本丸が炎上し、大坂城とともに豊臣氏も滅亡するに至った。
私見・登城日2003・02・09 作成日2003・02・24 編集日2006・02・19
大坂城には何回か来ているが、今回は石垣を入念に見に来た。今残っているものは、すべて
徳川時代の遺構で、天守は外観が秀吉風の天守で徳川時代の天守台に建てられている。
なんとも奇妙な感じがしてならない。天守内にはエレベータが設置され、天守というより
展望台と言ったほうが良いのかも知れない。今回も天守に上がることなく帰路についた。
天守
明治天皇来城碑
蛸石
内掘