江口城
大阪市東淀川区南江口
城主 三好政長
044
中島村大字江口の里長であった田中某の旧宅跡がそれであると伝えられるが、実地については
探聞すれば某所より稍北に位地する小高い所にあったらしい。摂津誌・名所図会等によると
此の城を中嶋城と記してあるがこれは誤りである。
江口の代官
寛保元年 | 小堀十郎衛門 |
宝暦四年 | 小堀数馬 |
寛政元年 | 羽倉権九郎 |
寛政五年 | 篠山十兵衛 |
文化六年 | 大岡冬之極 |
文化十一年 | 岸本武太夫 |
天保元年 | 矢嶋藤蔵 |
天保三年 | 大原吉衛門 |
天保五年 | 根元善左衛門 |
天保九年 | 築山茂左衛門 |
弘化元年 | 設楽八三郎 |
嘉永六年 | 増田作右衛門 |
安政四年 | 屋代増之助 |
文久二年 | 松永喜之助 |
文久三年 | 内海多次郎 |
江口の合戦
旧江口の渡船場付近一帯をいう。天文十八年六月に
三好宗三が敗れた処である。始め宗三従兄の三好長慶
を中嶋城に攻めようとして此の城に拠ったとき、十河民部
大輔一存、手兵三百余騎を引き連れて、長慶を援け江口城
に追らんとし軍を淀川の東岸に進め直ちに濁流を渡れば
長慶も三千余騎を率いて来合し倶に偕に宗三を攻め込めば
城中潰滅し宗三も遂に討死をしたのである。この付近の土地を
掘ると多数の人馬の骨骸・甲冑などがでてくる。江口城の
灯篭・狛犬などは大隈神社に保管されている。
私見・登城日2002・12・05 作成日2003・01・21 編集日2006・02・05
大隈神社の宮司さんに聞く
江口城の所在地は南江口の公民館が、本丸跡で一対の灯篭を据えてある。
もう一対は大隈神社があずかってるとのことでした。
大隈神社は多数のところの灯篭・狛犬を預かり境内に奉られて。
そのなかに江口城と書いてある灯篭と狛犬を教えてもらってカメラに収めた。
江口城の狛犬
江口城の狛犬
大隈神社
大隈神社の境内
江口城の登城口の灯篭
南江口公民館の灯篭
南江口公民館の灯篭