池田城
大阪府池田市城山町
≪模擬天守≫
2001
023
城主 荒木村重
荒木村重が、池田城から伊丹城に居城を移したのは、池田の地理的な要因があるのではないかと
思われます。伊丹は西摂津平野の中心に位置し、当時の幹線道である西国街道にも接し、大阪湾
にも比較的近くにあります。しかし、池田は西国街道から離れ、西摂津平野の中では大阪湾から
最も奥まった位地にあります。一方村重配下の摂津の武将について見ると、摂津国の東端に位地し
高槻城の高山右近・茨木城に中川清秀・南の尼崎城には村重の嫡男村次・西端の花隈城に
荒木村正を配置しています。伊丹の位地と、名武将の配置を見ると安土の織田信長を牽制し、当時
の海上ルートで信長と敵対していた毛利氏とつながりを持つことができます。これらのことから、
これは後に村重が信長を裏切るために、結果論になりますが村重は《摂津守》に任じられ、厚い
信任を受けていたものの、信長を油断ならない存在として見ていたのではないか、言いかえれば
信長を念頭において摂津の防御を固めるために、伊丹に移ったものと想像されます。
私見・登城日2002・09・19 作成日2002・09・28 編集日2006・09・07
伊丹城からの帰り道、池田市立図書館で資料を得てからの登城となった。池田図書館には、池田城の
古文書が沢山有り時間の限りコピーをとらせて頂きました。池田城は公園になっていて少し物足りない
感じはしましたが?。城に行くと言うより、公園に行くと言ったほうが当てはまりそうなほど整備され
本丸跡は、お花畑でした。丁度、大手門が出来上がり、天守も最後の仕上げをしていた。
大手門
天守
城碑