茨木城
大阪府茨木市片桐町
文明十四年(1482)築城者 茨木三郎
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茨木氏は正長年間(1428)頃より茨木土豪の国人から台頭して勢力を張り、やがて室町幕府御番衆
にまで乗し上がるようになった。『応仁の乱後の文明十四年(1482)の摂津国人一揆では太田郡内
近郷近在の国衆であった吹田氏・三宅氏・太田氏・中川氏・安威氏等々の国衆が各々の居城によって
相戦い、茨木三郎なる者は、その中核として吹田成枝の名田をも兼併する有様であった』
茨木市教育委員会発行 わがまち茨木 城郭編より
私見・登城日2002・09・01 作成日2002・10・・25 編集日2006・02・08
茨木城は、茨木小学校一帯が城郭跡である。校門の右側に復興門があり、その内側に
茨木城碑がある。付近のお寺に城門が残され、遠くは奈良に城門が移築されていた。
まだ、多くの遺構があるように思われる。
大和小泉慈光院の表門
茨木城矢倉門『内』
矢倉門『外』
茨木城碑
茨木小学校・校庭内