普門寺城
大阪府高槻市冨田町
普門寺は、慈雲山と号して臨済宗妙心寺派に属し、釈迦如来と十一面千手千眼観自在菩薩を本尊とする。
明徳年間(十四世紀末)に、説巌が創建し、永禄四年(1561)には、室町幕府の管領・細川晴元が政争を
免れて入山。また同九年には、足利義栄が当寺で十四代将軍の宣下式を行い、別名・普門寺城とよばれた。
元和三年(1617)に龍鶏が入山。約40年間にわたって方丈や庫裏等を造営し隆盛を誇ったという。
この間の明暦元年(1655)には、龍鶏の招きで明の高僧隠元が来日。宇治の黄?山万福寺に赴くまでの
六年間、当寺に滞在している。承応三年(1654)に龍鶏が去って以後は、龍安寺の輪番所となり、
昭和初期まで専任住職も置かれず、明治時代の廃仏棄釈もあって荒廃した。
しかしその後、再興が図られ、方丈は昭和五十二年に重要文化財に、また庭園も五十六年八月に
国の名勝に指定された。昭和五十七年~五十九年かけて解体修理された方丈は、入母屋造りで
こけら葺きの屋根、大きい軒などが調和して優美さを漂わせている。一方庭園は、要所に石を組んだ
枯山水庭で、江戸時代初期の作りとみられている。このほか境内には、細川晴元の墓と伝えられる
宝篋印塔や、普門寺城の名残とみられる土塁などがある。
永禄四年(1561)
城主・細川晴元
私見・登城日2006・07・02 作成日2006・07・02 編集日2006・07・02
郡山宿に行く途中、普門寺城に寄る。何度となく来ているがカメラを持っての登城ははじめてだ。
雨上がりの撮影に絶好の天候となり、連続シャッターを切る。枯山水の庭園を撮りたかったが
一ヶ月前に講習会に来た時はカメラを忘れたが、庭園と土塁は確認しているので。
今回は無理は言えず、次回と言う事で次の目的地『椿の本陣』を目指す。
№175
隣の府営住宅四階からの普門寺城
登城口
登城門
大書院と城内