日本城巡り

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津山城

岡山県津山市山下

慶長八年(1603)
築城者・森忠政


津山城 鬼ノ城
備中松山城 勝山城
備中高松城 岡山城
経山城

この地に最初に築城されたのは、美作国守護職の山名

教清の一族山名忠政が、嘉吉元年(1441)に鶴山に

小規模な山城を形成したことにはじまる。

この城は、近世江戸時代の初期、美作十八万石六千石で

入封した森氏が十三年の歳月をかけて完成させた、

慶長・元和期の傑作であった。

徳川一統の世となる関が原の合戦後、東軍に加担した

信濃国松代城主森忠政が軍功により美作国で十八万六千石

を加増され、慶長八年(1603)に転封してきた。

忠政は初め代々の守護所となっていた院庄に平城を構築

すべく工事に取りかかったが、普請を監督していた重臣の

刃傷沙汰があり、取り止めて領内に適地を求め、廃城と

なっていた鶴山を改めて津山となして、翌九年着工し、中途

大阪冬の陣出兵などや幕府夫役もあって工事は遅れたが、

天和二年(1616)に完成している。小倉城主細川忠興は、薮田らを城内に招いて見学させ、わざわざ

見取り図まで与えて帰した。こうして五層の天守をもつ津山城が完成しが、幕府は外様大名が

四層以上の天守を築くのを禁じていた。ところが津山城がその禁を犯しているというので幕府の役人が

調査に赴くことになった。この時、江戸にいた忠政は急いで伴唯利という家臣を帰国させ、五層目の塀

を取り除いて、四層に見せかけたという秘話がある。

          

私見・登城日2001・01・07  作成日2001・02・07  編集日2006・05・06
私見・登城日2004・03・07  作成日2004・05・09  編集日2006・05・06

一度目の登城は、雪で足を滑らしながらの登城だったが、二度目も又寒いが、雪は無い

大手道の横の駐車場に車を停め、大手口からの登城開始。備中高松城で林さんが

備中櫓を建設中だから、見ておいたら良いかも、と言われていたので急遽、津山城に来た。

津山城の石垣は、ダイナミックで見ていても飽きがこない。石垣の上に大きなテントが

張られ、中では備中櫓の建設の真っ最中。テントの間からカメラを向けシャッターを切る。

2005年の完成となると、もう一度来なくてはならないだろう。

大手門

備中櫓の建設中

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