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勝山城
岡山県真庭郡勝山町大字勝山
嘉慶二年(1388)
築城者・三浦貞宗
延文五(1360)ないし嘉慶二年(1388)頃に三浦貞宗が旭川
の屈曲部にある大総山上に高田城を築いたといわれる。
如意山に本丸を、南方の勝山に二の丸を置いて、その間を
掘り切りとして須井乢『すいだわ』と呼んだ。
天正四年(1576)毛利氏が攻略。その後宇喜多・小早川・森
の諸氏に属し、元禄十年(1697)森氏の断絶により一時天領
となる。明和元年(1764)三浦明次が移封され、幕府から
築城費用四千両を拝領して、同六年にかけて廃城となっていた
高田城を再興して築城し勝山と改称。築城は山麓の三の丸に
御殿を造営し、大手門など諸門を設けた程度で終り天守は無し。
明治二年六月真島藩と改称。同年御殿や門の一部を岡村椎ノ木
に移築して藩主の屋敷とし椎ノ木御殿と通称。
明治四年七月真島県庁となるが明治十一年北条県に合弁。
廃城後、建物は払い下げ取り壊し、昭和十七年七月、三の丸
の御殿跡に岡山県真庭地方事務所を置くが、
昭和三十一年六月廃止。
私見・現況・登城日2004・04・25 作成日2004・04・29 編集日2006・05・05
真夜中の2時頃にナビに映る。城跡は山上本丸周辺は山林となり、曲輪跡・石垣・堀切が良好に現存。
中腹の二の丸は町民グランドとなり、石垣の一部が現存する。東虎口から三の丸に至る須井乢越えの
道は、国道バイパスが開通。西山麓の三の丸《御殿跡》は住宅地となり遺構は無い。
御殿の一部と門は旧藩主・三浦家別邸《現在は町有》の母屋・離れ・門として勝山町岡へ移築。
≪ただし、御殿その物では無く、廃材を利用して建てたという説もある≫
◎ この時期に桜が満開だなんてビックリ!
気温も3度を示していた
勝山城の由来
城碑
城山の桜が満開